白石紬という可能性
ミリシタより新しく765プロの仲間に加わった白石紬の魅力についてただただ書き連ねるという記事になります。
コミュのネタバレは盛大にしていくのでご注意ください。
(と言っても、SSRが引けていないのでそのコミュについては触れられませんが…)
さて、まず彼女の魅力は纏っている雰囲気でしょう。
若干17歳にしてこの優雅な雰囲気。
この感覚はゲーム中のPも感じていましたね。
しかし、優雅と言ってもただ単に落ち着いていて、大人びているというわけでもありません。
まだ17歳なのですから、少女らしいも一面もいっぱい兼ね備えています。
以下ではそんな多彩な「一面」について書いていきたいと思います。
まず、メインコミュ第4話から。
この回では、紬をセンターに起用したことによる顛末が描かれています。
おそらくまだ39プロジェクトが始まって間もない頃の、十分に成長していない段階でのセンター起用だったのでしょう。紬自身、センターという大役に怯え不安になってしまいます。
そして終いには涙を見せる姿も…。
この涙からは紬の責任感の強さやアイドルへの真摯な姿勢を見て取れます。
その後、Pからの助言やエミリーたち仲間の支えもあって、無事初のセンター公演を乗り切ることができます。
この表情。とても美しいです。
しかも、初のセンターライブが終わった直後というのにすぐに反省もできてしまう意識の高さ。
そしてメモリアルコミュを順を追って見ていきます。
まず第1話。
この話では紬の年相応の少女らしい可愛さがうかがえます。
いきなりPに呼び出されて少し怯えていた紬ですが、真相(ただ単に紬が紹介してくれた甘味処でお食事したかっただけ)が分かるといつものように食ってかかってきます。
この「あなたは○○なのですか?」というセリフは口癖のようですね(笑)
しかし、和スイーツは紬の好物です。
このようにかわいらしく和スイーツを食べています。
しかもその理由が「食べ物は粗末にできません」とか、絶対意地張ってると思いますね。
(もちろん、食べ物は粗末にしてはいけませんが・・・)
次に第2話です。
宣材写真撮影での話のようですね。
元々無表情な紬は笑顔を求められる宣材写真で苦悩し、控え室で笑顔の練習をしています。(可愛い)
しかし、笑顔ってそんな風に造ったとしてもやはり変に硬くなってしまいます。
でも、そんな風に自分の弱点を自ら発見し、それを克服するよう努力ができることって私も素晴らしいことだと思います。
紬はそれを行えるとても良い子なんですよね…。
そして、褒められるとこんなにも可愛い表情を見せてくれます。
(方言が混じるところも可愛い…)
そして、出来上がった写真を見ると、紬はその写真を「まるで自分じゃないみたい」と形容します。それほどまでに自分のことを過小評価していたわけですね。
ほんと、色々分かっているような雰囲気を纏っていますが、まだまだこんなところが原石ですよね。磨いていきたいです。
第3話では初の舞台に緊張している紬の姿が描かれています。
普段は落ち着いた印象を抱かせてくれますが、紬はまだ17歳なんです。しかも女の子でです。この年の女の子の肝が据わっているという方が不気味です。紬も例外ではありません。紬はこの時、とてつもないプレッシャーを感じていたのでしょう。
そんなときに吐いたセリフが「私は…女の子ですから」という…。
なんて破壊力…。
こんな言葉を吐かれちゃ、支えてあげずにはいられません…。
しかし、最終的には不安を完全に払拭できたとは思えませんが、いい感じの緊張感を抱えたままステージに臨めたようで一安心です。
ここまで白石紬の性格について書き連ねましたが、
このようにまとめてみるとやはり、少女と大人の狭間にいる17歳の女の子で、これからの成長がとても楽しみになります。
次に、個人的にかなり気になっている、「紬がどうしてアイドルを目指しているのか」について書こうと思います。
紬は39プロジェクトに自ら応募してきたわけではありません。
プロデューサーと偶然出会い、その魅力ゆえにスカウトされます(メモリアルコミュ第1話参照)
そして、後日765プロに来ます。
この間に紬は転校と引っ越しの手続きを済ませてきています。
なにかアイドルに対する強い想いがなければこんな判断はできないはずです。
さらに、紬のセリフを見ていると度々出てくる「過去・幼い頃」の話。
これらのセリフから考えるに、おそらく紬は幼い頃にアイドルに強く惹かれたのでしょう。しかし、Pに出会うまではそんな幼い頃の夢なんて忘れていたか、自分自身思い出さないようにしていたのだと思います。
その紬のアイドルに対する想いはコミュで見れますが、人一倍強いものです。
正直、ここまで「”アイドルとして”頑張りたい!」という想いをぶつけてくる娘は少なかったと思います。
アイドルでいること自体に自分なりの意義を持っている娘は非常に好きですので、私も支えてあげたくなります。
おわりに・・・
白石紬はまだまだ色んな可能性に満ちていて、魅力あふれる女の子です。
持ち前の大人びた雰囲気を前面に押し出していくも良し、可憐な少女としての顔を出していくも良し。
さらにちょっと捻くれたところもまた可愛いという…。
きっとこれからもっとたくさんの表情で魅せてくれることでしょう。
なにより「アイドルをやりたい」から「アイドルに真剣」という姿勢が良いです。
そして、自ら至らないところを自覚し、その克服のために頑張ることができる。
なのでトップアイドルの可能性しか感じません。
しかしまだ紬自身分かっていないことがたくさんあります。
そんなとき、迷った紬のために道を拓いてあげるのがPの務めなのでしょう。
まだ彼女について知らないことばかりですが、共に歩み、彼女についてだんだんと知っていくことで、この可能性に満ちた蕾を綺麗に咲かせてあげたいですね。
(白石紬を見ていると、かつての貴音の姿を彷彿とさせられます。なので次は、紬と貴音の不思議な親和性・共通点について書いてみようと思います)
長門有希はヒツジの夢を見るか。
これまでハルヒ、キョンについて書いてきたので、次は長門かな、と…。
(二番煎じにもほどがあるタイトルだな…。中身もそうだけど…)
長門有希は「情報統合思念体」という高度な知的生命体によって生み出された対有機生命体ヒューマノイドインターフェースです。
目的は涼宮ハルヒを観測し、自立進化の可能性を探ること。
と、なっています。
しかし、長門の、思念体の目的って本当にそれだけなのでしょうか?
長門の親玉である思念体は地球どころか、宇宙全体で起こっている全事象を観測できてしまう規格外な存在です。
だから、ただ単純にハルヒを観測するだけなら長門や朝倉といった端末を地球に送り込む必要なんてありません。
逆に、ハルヒを刺激してしまったりして予測不可能な事態に陥る可能性が高まってしまいます。
長門を地球に送り込んだのは「主流派(主に観測をし、自律進化の可能性を模索する)」なのだから、ハルヒを刺激する必要はほとんどありません。
さらに、ハルヒと接触し、可能性を模索することが目的なのであれば3年間も自室に籠っている必要はなかったように思えます。
まあはっきり言って、長門には観測すること以外の、別の役割があります。
その根拠を以下で述べようと思います。
まず、長門は「涼宮ハルヒの憂鬱シリーズ」を通して、だんだんと感情を表していくようになります。それはキョンのモノローグや団員のセリフから察することができます。物語が進むにつれて、キョンは長門に対して「こいつの感情がわかるようになってきた」という感覚を抱いています。さらに古泉やハルヒも同様の感覚を味わっています。(もちろんキョンや古泉、ハルヒ自身が長門と接触していくにつれて長門の微々たる表情変化に慣れてきたというのもあるでしょうが)
次に、キョンは度々長門の性格について「どうしてこんな不器用な性格でなきゃならないんだ」という思いを抱いています。特に顕著なのは「消失」ですね。
「消失」において、キョンは「この長門有希にもっとまともな性格を与えることだってできただろうが。(中略)なんだって一人寂しく部屋に閉じこもって本だけ読んでそうな欝な娘を設定しやがったんだ」と述べています。
さらに、谷口流の書き方の特徴として、伏線は明確にしておくという特徴があります。
以上のことから考えるに、長門の本当の目的とは「自らの感情を発達させること」だと考えられます。
長門はハルヒやキョンたちと接触して、自らの感情を発達させます。
(「消失」において、長門はこれら感情のことを「エラー」と称しましたが、確実に長門が感情を発達させている証拠にはなります)
そしてそこから自律進化の糸口を探すことが思念体の本当の目的なのでしょう。
思念体自身では絶対にできませんが、コンタクト用ヒューマノイドインターフェースとしてならば可能でしょう。
典型的なSF作品ではよくあることですがロボットが感情を得て、成長していくという流れを谷川流氏はこの作品にも取り入れたのではないのでしょうか?
(長門をロボット呼ばわりしたくはありませんが便宜上こう書きました)
現状、長門の感情の起伏はそれほどだいたんではありませんが、最終的に涙を流すくらいの感情を得て欲しいものです。
(そこに「雪が解けた」というようなセリフを添えたいものです…)
白石紬ソロ曲「瑠璃色金魚と花菖蒲」の個人的解釈
白石紬に惹かれてしまいました。
なんていうか、纏っている雰囲気が好き。
いわゆる「ティンときた」ってやつです。
まあ彼女の魅力についてはおいおい書くとして、今回は彼女のソロ曲である「瑠璃色金魚と花菖蒲」についてある程度の解釈ができたのでそれを書こうと思います。
まず、タイトルに含まれる二つの名詞の「瑠璃色金魚」と「花菖蒲」についてです。
「金魚」はすぐに思い当たりました。
それは紬の「ヒミツ」です。
ここでは紬が過去に金魚すくいですくった金魚を大切にしているという内容が出てきます。また、なぜこの金魚を大切にしているのかとても気になります。
次は「花菖蒲」です。
花菖蒲は5~6月に咲く花ですね。この時期にはちょうど紬の誕生日(5/29)があります。
さらに歌詞全体の印象としては、「瑠璃色金魚」が「花菖蒲」に憧れに近い愛しさを抱いていますね。
そして、「花菖蒲」には「凛と咲き誇る」や「凛と佇んだ」といったような言葉が掛けられています。
このことから私は
「瑠璃色金魚」がアイドルになる前、あるいはなったばかりの現在の紬
「花菖蒲」がトップアイドルとなった未来の紬
と考えました。
以下は歌詞の細かい考察となります。
(もちろん、「瑠璃色金魚と花菖蒲」の歌詞を知っていることが前提条件となります)
まずAメロです。
このパートではおそらくアイドルに憧れている紬の精神状態が描かれているのだと思います。
アイドル(=花菖蒲)に憧れる紬(=瑠璃色金魚)。そんな紬の想い(=吐き出す空気)が叶うなんて(石川県という都会からは遠く離れた地に住んでいる)紬自身は決して考えていません。
次はBメロです。
ここでは紬のスカウトの話(白石紬メモリアルコミュ第1話)が描かれているのだと思います。
最初のフレーズはプロデューサーからの「アイドルに興味ないか!?」の提案のことを「はなびらが落ちる」ことに喩えているのだと考えられます。
花菖蒲はトップアイドルとなったあとの紬なのですから、そのトップアイドルになるためのきっかけ(はなびらひとひら)がプロデューサーによって紬に与えられた(落ちた)のです。
その瞬間に紬の世界は揺れ動いていきます(水面に落ちて震える)。
さらに、紬自身の心も揺さぶられます(震える指先)。
そしてBメロ第2フレーズでは、アイドルになりたいという欲望がプロデュースの言葉によって喚起されたことを表しています。
「アイドルになりたい」という願いが目覚め、感情が大きく揺さぶられ、まるで「世界が止ま」ったように感じたのでしょう。
そして第3フレーズで書かれている「外の世界」はもちろん「アイドルの世界」のことです。アイドルになる前にの、一般人の紬にとっては「アイドルの世界」は輝かしいのです。
そして第4フレーズはプロデューサーのスカウトの言葉に対する思いでしょう。
メインコミュ第4話と紬のメモリアルコミュ第1話を見てみて分かったのですが、紬はなかなか素直ではありません。
そんな素直ではない紬は、自分の心をこんなにも揺れ動かしたプロデューサーの行為を「罪」であると形容します。
それでも第5,6フレーズで素直な紬の本心が見て取れます。それが「心地いい」と「もう(アイドルとしての自分を)求めている」という言葉に集約されているのでしょう。
(「眩暈がしても心地いい」なんてまさに紬らしいなと感じますね)
そしてサビに繋がります。
前半は明瞭です。
トップアイドルとしての自分(=花菖蒲)を夢見るアイドルなりたての紬の心情が綴ってあります。
問題は後半です。
ちょっと解釈に手間取りました。
ざっくりいうと、アイドルになりたてでなかなか成果が出ない時期の紬の苦しい感情を綴っているのではないだろうか。というのが私の解釈です。
プロデューサーが紬をスカウトしました(灯した明かり)が、なかなか上へ上り詰めることができずに(燃えないまま)、低ランクアイドルでくすぶっている(今も青く棚引いている)。
そんな風に解釈しました。
そして続く「曇った硝子」というワード。
これに最も悩まされました。
そんな私にヒントを与えてくれたのが寺尾聡の「ルビーの指輪」です。
「くもり硝子」といえば真っ先に浮かぶのはこの曲です。
そして調べてみると、「ルビーの指輪」において「くもり硝子」は「つまらない現実」と「幸せの象徴の街」との境を意味しているそうです。
なのでこれを「瑠璃色金魚と花菖蒲」に当てはめてみます。
そうすると、「曇った硝子」は「一般人(”過去の”現実)としての紬」と「アイドル(幸せの”象徴”)としての紬」を隔てる障害のことを表しているのだと考えられました。
なのでサビの最後は「一般人からアイドルになる(曇った硝子を溶かす)ための素質(秘密)を持っているかどうか紬が自問自答している」と考えられます。
そしてラストサビです。
ここでは自身を見出してくれたプロデューサーに対する想いとトップアイドルになりたいという強い決意が綴られています。
プロデューサーが自分に対する期待(触れてくれた温もり&光)を無くしてしまったら、私はトップアイドルにはなれない(枯れていく)。
そんなことになってしまったらまた一般人に逆戻りしてしまう。
でもそんなことにはなりたくない(抜け出したい)。
そして、
「(だから)私きっと(トップアイドルになってやる)」
という最後のフレーズに繋がるのです。
強く、頼もしい感情が赤裸々に吐露されたのがラストサビなのです。
長くなりましたが、これで一通りの解説は終了です。
最後に、「花菖蒲」の花言葉は
「うれしい知らせ」
「あなたを信じる」
「優雅」
なのですが、これにはおそらくこんな意味を込めたのではないのでしょうか。
「うれしい知らせ」は「アイドルになるきっかけ(スカウト)」
「あなたを信じる」は「プロデューサーへの信頼」
「優雅」は「紬自身を形容した言葉」
「瑠璃色金魚と花菖蒲」はアイドルになりたてのまだ成熟しきっていない白石紬の心を見事に表すと同時に、トップアイドルになってやるという彼女の強い意志を
綴っているのだなと感心してしまいます。
いつか、曇り硝子で作られた小さな水槽で泳いでいた瑠璃色の金魚が、綺麗な花菖蒲として咲き乱れてくれることを願ってやみません。
いえ、必ず咲かせてみせます。
精神病の「治療」
先日、偶然にもメンタルヘルスの事業に携わっている方にお話を伺える機会がありました。
なんでも現在東京大学の教壇に立って教えられてもいるそうで…。
以下はそれについての内容と所感についてです。
いきなりですが、WHOの調査によると、自殺者数は年間80万人ほどだそうです。この数値はマラリアによる死亡者数(≒40万人)よりも、経産婦死亡者数(≒20万人)よりもはるかに多いんです。
さらに、現在の若い女性の死亡者数は、戦争よりも、他殺よりも、自殺が最も多いそうです。(他人よりも自分の方が殺すのに抵抗がないってことですよね…)
もちろんマラリアや経産婦に対する対策手段は国連において何十年も議論されています。
それでは「自殺」についてはどうでしょう。
全く議論されてきませんでした。
これほど多くの死亡者数を出しているのにも関わらず問題として議題に挙がらなかったのです。
自殺をするということは精神的に何か問題を抱えているはずです。
言葉は悪いかもしれませんが、これは列記とした病気なんです。
しかし精神病には特効薬はありません。
インフルエンザや食中毒のようになにか目に見える形で原因が浮上することはありませんから。
これがとても厄介なんです。
治療しようとも、治療する決定的な術がありません。
だから、病を悪化させ、終いには死に至る。
そこで我々ができることは精神病に対する理解を深め、その理解を他者にも押し広げていくことしかありません。
本当に地道な作業となりますが、こうするほかないんです。
そうすることで、精神病を患っている方が生活していても忌避の眼、好奇の眼を向ける人間のいない世界を創り出すしかないんです。
正直、個人的に現在の世の中はとても恐ろしいです。
精神病の方が電車の中で突発的に暴れてしまったり、公道で異常行動をしていた場合、その一連の行為を持っているスマホで撮影して、ネットに拡散させることが誰にでもできる。
さらに、それを見て笑う人間がいる。
これがとても怖い。
「監視社会」に似ていて、それ以上に気味が悪いです。
手足のない人に対しては「かわいそうに…。手助けしてあげなきゃ」なんて考えるのに、脳が少し欠けている人に対してはなんの配慮もない。
「近づきたくない」、「気持ち悪い」、「面白い」とか思ってばかり。
現在の社会は、精神病患者に対する理解度が浅い社会なんです。
普通の(原因が明確な)病気であれば、その原因を治療すればいいだけなんです。(それだって複雑で難しい場合もありますが…)
しかし、精神病は違う。現在明確な治療手段がありません。
疾患者の治療はできない。
だから逆に世の中の健常者の思考を「治す」しかありません。
優先治療対象が全く異なるんです。
精神病患者に対する有効な治療法が存在しない。
だから第一に世の中の健常者の異常な思考を「治療」し、精神病に対する理解深めさせ、精神病患者が生活しやすい世界にする。
それこそが精神病患者にとって一番の薬となります。
私は精神病患者が風邪やインフルエンザのように自ら病気であると告白しても誰も忌避しない、面白がらない、そんな社会がいつか訪れることを願ってやみません。
なので私も何らかの形でそういう事業の手伝いができたら…なんて漠然と考えていたりします。
(私の友人にも一人精神を病んでいる友人がいますが、彼は両親からの理解が得られなくとても苦労しています。そんな現実を目の当たりにしているせいか、この精神病を取り巻く課題は個人的に考えざるをえません)
「ミリオンンライブ シアターデイズ」がついにサービス開始!!!
ついに始まりました!!
ミリオンライブシアターデイズ、略して”ミリシタ”!
いやあ、武道館最終日に発表されて以来、「いつだいつだ…!」と心待ちにしていましたが、まさかこんなに早く配信されるなんて…!
配信前から、PVや告知を目にして「これは神ゲーだ!」と確信していましたが、実際にプレイしてみると本当にその通りでした。
夢にまで見たミリオンのリズムゲーム、しかもコミュ重視という…。
本当に、本当に最高です。
幸せです…。
以下はそのミリシタについて心の赴くままに綴った文章が続きます。
盛大にネタバレしていきますのでご注意ください。
「ゲームスタート」をタップしてみると、お馴染みの「765プロダクション」が…!
ここから既に幸せです。
中では社長と、新たに加わった青羽美咲さんに出迎えられます。
美咲さん、なかなか素直で元気な娘のようです。
仕草がいちいち可愛くてたまりませんな。
それからは未来、静香、翼の三人に会って話が進んでいきます。
初ライブのテーマを「お姫様」、「妖精」、「天使」から選ぶことになっているのですが、私は「お姫様」を選びました。
私の好きな四条貴音がこのゲームでは「Fairy(妖精)」グループに属していたり、貴音は「元プロジェクト・フェアリー」ということもあって、「妖精」にしようかと迷いました…。
しかし、初ライブ、つまり私プロデューサーがアイドルに与えられる初めてのプレゼントです。
そう考えると、思い出すのはやはり「お姫様ティアラ」です。
なので、今回も”お姫様”にしようと思い、「お姫様」を選択しました。
ライブが始まると、何度も夢に見ていたシアター組のアイドルの踊って歌っている姿が見られて、ボロボロと泣いてしまいました。
そしてドキドキの100万DL記念のSSR確定ガチャ!
私のもとには静香が来てくれました!
貴音と同じ「フェアリー」に位置付けられているアイドルのうちの一人です。
アイマスではお馴染みの「黒髪&歌が上手い&クール」というキャラです。
(たくさんの方がリセマラを行っていますが、私はアイドルとの出会いは大切だと考えているので、アイマスにおいてはリセマラはしません)
それにしてもこのイラスト、背景の月や雲に至るまで詳細に描かれていて、さらに静香の表情からは落ち着きつつも確固たる意志を感じ取れてとても好きです。
ライブを何度か繰り返していると、「メインコミュ」が発生していきます。
このメインコミュがとても熱い!
私が夢見ていたシアター組と先輩である765ASとの会話がここにありました。
特に、この美希の言葉が重い。
臆することなく素直な気持ちを吐露できてかつ、本質が見えている美希だからこそ出てくる言葉だと思います。
ひとまず、メインコミュはここまでのようですが、ミリシタは本当に面白い。
(6/29 追記 メインコミュ第4話の存在を確認しました。すみません)
帰宅してすぐさまミリシタを起動し、気が付けば2時間以上が経過していました。
事務所や劇場の中には765プロの誰かが居て、その娘をタップするとかわいらしく反応してくれるんです!
この動作が良い!!
そして、リズムゲームとしての完成度も高い。
デレステである程度鍛えていたはずなのですが、ミスを連発してしまいます(汗)
そしてそして、新たに追加されたアイドルたちの出身地!
ひとりひとりのプロフィールを確認していく作業はまさに「アイドル達とこれから関係を構築していくんだ…!」という気持ちにさせられて心機一転、プロデュース活動をより一層頑張ろう!という気持ちにさせられます。
ミリシタは「ゼロ」からのスタートです。
桜守歌織と白石紬という新たなアイドルを2人加えて、39人のアイドルと共に(765ASを加えると52人)、これから劇場を大きくして、アイドルたちを有名にしていきます。
今までのプロデュース歴なんて関係ありません。
アイマスに興味を持って、「これから始めてみたい!」という気持ちだけで構いません。
きっとお気に入りの娘が見つかります。
そうしたらその娘のことをプロデュースして、トップへの階段を共に上っていく間にその娘のことを知っていけばいいんです。
予備知識なんて不要です。
知識は後からいくらでも身に付けることができます。
(特に歌織と紬は新人ですから、初めてアイマスに触れる方にはもってこいです)
中村繪里子さんがこう言っていました。
「どのタイミングで『アイマス』に触れているのか、それは本当に問題ではありません。『アイマス』の世界を好きでいてくれること、その世界に触れようとすること、それを私たちは"プロデュース"と呼んでいます」
この言葉は本当に大好きで、この言葉に尽きます。
ミリシタがリリースされたこのタイミングが、「アイマスの世界に触れようとする」のに最適な時期なんです。
今からでもアイマスの世界に一歩踏み込み、プロデュースをしませんか?
「キョン=異世界人」に関する3つの説
またしてもありふれた話題なんですが、書きたいと思います。
私の知りうる限りでは、キョン=異世界人説って大きく分けて2つ存在しています。
1つは「キョン=真の神(創造主)」説に基づくものです。
「涼宮ハルヒの憂鬱」の世界はあまりにもキョンにとって都合が良すぎることや、四年前の七夕でキョンが校庭に落書きをしたことがその主な根拠となっているようです。
まぁ根拠自体は良いのですが、この説を採ってしまうとこの作品がいきなりホラーと化しますよね。今まで私たちが楽しんでいたハルヒの世界が冴えない主人公の妄想の産物だったなんて、夢オチよりも酷い気がしてなりません。
それに、原作者が暗に示している「ハッピーエンド」には程遠くなってしまいます…。
そして2つ目の説です。
これは個人的に支持したいですね。
「キョン=読者」説です。
「涼宮ハルヒの憂鬱」シリーズは一貫してキョンの視点でしか語られません。(この手法が一定の方からかなり高い評価を与えられていたりもします)
キョンという語り部の視点によってしかこの作品は描かれないがゆえに、私たち読者は自然とキョンに移入してしまいます。逆に、キョンを介してハルヒを見ることはできないんですよね。必ずキョンがインターフェースとなっています。
少し強引ではありますが、これにより「キョン=読者」という図式が成り立つこととなります。
キョンはストーリー上では異世界人としての役割を与えられてはいませんが、(2次元世界からしたら)異世界人である我々と一体化するというシステム上の役割が与えられていたということです。
さて、考えられる説がもう1つあります。
これは前回書いた「ハルヒにとってなぜキョンは例外なのか?」とも繋がっています。
まず、ハルヒについておさらいしますね。
キョンと出会う前までのハルヒは自分が見ている世界は「つまらない」と形容していました。
その原因は前回書いたとおりです。
しかし、キョンと出会ったハルヒはキョンのことをどう思ったのでしょう?
それは「憂鬱」でSOS団を結成するまでの流れを見ればわかりますが、ハルヒはキョンのことを完全に意識して行動していきます。
「どうしたらキョンと一緒にいられるか?」
そのことで頭がいっぱいです。
だって、単に容姿や性格ではなく日替わりの髪型を指摘したキョンは、今までつまらない男(容姿だけに魅かれた人間)に言い寄られていたハルヒにとって「例外的存在」だったのですから。(もちろんキョンはハルヒの容姿に魅かれていましたが)
つまり、キョンはハルヒの思っていたつまらない現実世界の外側にいる(=つまらなくない、面白い)存在だという意味で、異世界人なのです。
こうやって考えてみると、「憂鬱」がどれほどよくできたラノベであるかが分かります。
「東中出身、涼宮ハルヒ。
ただの人間には興味ありません。
この中に宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら、
あたしのところに来なさい。以上。」
自己紹介時にこう言い放ったハルヒはSOS団に古泉を迎え入れた時点で、「宇宙人、未来人、異世界人、超能力」に知らずのうちに囲まれていたことになるのです。
しかもキョンも含めて、皆がハルヒにアプローチしていくような形で。
ハルヒの願望はまたしても無意識のうちに実現していたのですね。
でもつくづく思うのは、やはり「ハルヒはかわいそうだな」ということです。
自分の願望はたしかに叶えられているのにも関わらず、自分の能力に対して無知で、素直になれない性格が災いして自分の気持ちにさえ無知でいることしかできないのですから。
だから仮に私が「涼宮ハルヒの憂鬱」シリーズに何らかの結末を与えるのであれば、せめてハルヒが自分の気持ちにだけでも素直になれるようにしたいですね。
そうなることでようやく、ハルヒの中に眠っている(sleeping)健気な想い(beauty)が目覚めるのですから。
涼宮ハルヒは他者の視点を自らの内に取り入れて成長していく
各所で「暴力女」だとか「我儘が過ぎる」だとかいろいろと言われるハルヒですが、彼女がそんな性格なのには理由があるのです。ということを書こうと思います。
まず、小学生時代です。この頃はおそらく天真爛漫な可愛らしい少女だったのだと思います。なぜなら、「自分のクラスは世界のどこよりも面白い人間が集まっている」と思っていましたし、「家族といるのも楽しかった」のですから。さらに、佐々木はハルヒのことを「太陽のよう」と形容し、「憧れて」いたのです。世間一般的に言って、憧れられる人というのは決して排他的ではないし、ましてや暴力的でもありません。以上のことから小学生時代のハルヒは優しくお転婆な少女であるのだろうと考察できます。
しかし、そんな彼女に転機が訪れます。それは「憂鬱」にて語られてた野球観戦です。
そこで見た膨大な人の数に圧倒され、自分の生活は「日本全国の人間から見たら普通の出来事でしかない」と考えるようになり、「つまらなくなった」と感じるようになります。
ハルヒは若干11,12歳にしてアイデンティティクライシスに見舞われます。原因は今まで生きてきた狭い”自己の世界”と見たこともなく広い”他者の世界”を相対化したことです。それにより今まで生きてきた世界像は崩壊し、自分自身の価値は喪失しました。それにともない、彼女は圧倒的な孤独感に苛まされるようになります。その結果として、余裕をなくしてしまった彼女は、よく言われるような「暴力性」を孕むようになっていったのだと考えられます。(それが許されるかどうかは別として・・・)
そして中学生になったハルヒは失ってしまったアイデンティティの獲得に動き出そうとします。それが校庭のグラウンドに落書きした「わたしはここにいる」のメッセージであり、「4年前の情報フレア」なのです。彼女は自分の存在を世界に訴えかけ、世界を改変し自分という存在の価値を世界に見出そうとします。(実際には情報フレアの直接的原因は別だと考えられます)
本来ならば、自己のアイデンティティの獲得のためには、自分自身が周囲の環境に順応していく姿勢が必要なんです。
しかしハルヒは自身のその無自覚な世界改変能力により、環境を自分に順応させる形でアイデンティティの獲得を目指します。心の奥底ではその環境に自分も認めてくれる存在は「いるはずがない」という幻想を抱きながら…。
つまり彼女はアイデンティティの喪失とともに、他者の排斥という心理状態に陥ってしまったがゆえにアイデンティティを自らの内に眠らせてしまうしかなくなってしまったのです。
(sleeping beauty)
ここでもう一つ注目しておきたいことはハルヒはあくまで”自己以外”に自己のアイデンティティを見つけてもらおうと動き出したのみで、自分自身でアイデンティティを探し求めたりはしません。つまり、この時点でのハルヒは”積極的な受動性”を備えていたと言えます。
そんな無自覚の袋小路に陥っていたハルヒはその精神状態のまま高校へ進学します。
このときの重要なターニングポイントはもちろん「キョンとの出会い」です。
彼がなぜハルヒにとって例外な存在であるかの説明は今は省略しますが、とにかくハルヒは彼にとても大きな興味を抱くようになります。
これによりハルヒは”能動的”にキョンの気を引くために”能動的”にキョンの気持ちを知ろうと努力し始めます。この時点からハルヒは自己以外の”他者”の視点を自らの内に無意識のうちに取り込むようになり、自らの暴力性を、キョンに嫌われたくないという一心で、克服しようとし始めます。
さらにハルヒは今後、「雪山症候群」や「分裂」において長門の心配をするようになっています。「他者の心配をすることができる=他者の心に寄り添える」ということですから、ここでも他者の視点を自己に取り入れているのです。
これらにより、古泉の言によれば、閉鎖空間の発生頻度は減少し、ハルヒの精神状態は落ち着いていきます。
ハルヒは自己を認めてくれるキョンに認めてもらいたいがために、彼女が唯一の存在でいられるSOS団を大切にしたいがために、無意識のうちに他者の視点で物事を考えられるよう成長していくのです。
自分を他者に認めて欲しければ、まず他者の視点に立ち、他者を認めていく姿勢が必要なんですよね…。