幼馴染√
私はギャルゲーと呼ばれるものが大好きなんですが、
その作品群で重要なポジションを担うのが「幼馴染」です。
幼い頃から主人公の側にいて、(密かに)恋している
そしてどちらかが告白をして付き合いはじめる
というのが定石だと思われます。
(如何せんプレイした本数が少ないので大声では言えませんが…)
しかし私としては、付き合うまでの2人が多少軽々しい行動をしているように見えてしまいます。
だって「幼馴染」ってとても貴重な存在なんですよ。
お互いに意思疎通がしやすいし、”異性の友人として”アドバイスをもらいやすい。
そんな存在ってなかなかいません。
だからこそ、友達以上恋人未満なその関係を崩すことはとても怖いはずなんです。
告白が失敗したとき、ただの友人を失ってしまうのではなく、幼馴染という特別な存在を失ってしまう。
でも、私がプレイしてきた作品の主人公たちはそれほど苦悩せずに告白してしまいます。
葛藤することなく告白してしまう。
(もちろん成功しますが)
とても勇気のいる行動だと思います。
私にも幼馴染と呼べる人が1人います。
でも、そこから一歩踏み出して、「告白しよう」という決断をすることはそう簡単にはできません。
怖いから。
幼馴染が離れてしまうのが怖いから。
だから、2次元世界の主人公を少し尊敬しています。
非日常な空間(オフ会)
昨日、都内某所で行われたオフ会に参加してきました。
参加者は14名。
私は過去に3,4人のフォロワーさんとお会いすることはありましたが、10人を超える方々と一堂に会することは初めてのことでした。
今回のオフ会は「ツイッターのフォロワーさんたちとお食事しよう!」という目的のもとに行われたので、終始アットホーム(?)な雰囲気に包まれていたように思えます。
結局、何が言いたいかっていうと、
「幸せだった」
この一言に尽きます。
ツイッター上でしかコンタクトの取れていない方と実際にお会いすると、その人の好きな話題を知っているので、新鮮だけれども初対面じゃないような不思議な感覚が楽しめるのがとても良いです。
そして、リアフレとはできないようなオタク話から未知の話まで幅広い会話ができるのがオフ会の良いところですね(笑)
あと個人的に、「アイマスの話が聞きたい!」って言ってくださる方もいて、それが無性に嬉しかった。
いかんせん、あまりイベントやらに出向いてない人間なので、こうして運良く同業の方と巡り合えたことがとても幸せでした。
「シラムネ」っていうアカウントを「アイマスの人」って周知されていることが実感でき、「アイマスが好きでいて良かったなあ」と感じるのです。
(結局、あまりアイマスの話できていないのですが…笑)
でも、そんな会話内容がどうこうということよりも、お会いした皆さんが優しくて、よくここまで良い性格の方々が集まったな…としみじみ思い、感謝の思いでいっぱいです。
なかなかこんな良い機会に巡り合えることってないのだろうなと今でも感じています。
名前は伏せておきますが、今回の機会を作っていただいた主催者の方をはじめ、昨日お会いした皆さま、本当にありがとうございました。
こんな幸福感でいっぱいの集まりは初めてでした。
今度また機会があったらその時もよろしくお願いします。
今日のこの疲労感はなんなんだろうと思っていたのですが、これはライブに参加した後の充足感に包まれた疲労と同じ疲労感なんだと今になってようやく判明しました(笑)
(美味しかった…)
七夕 ~笹の葉ラプソディ~
七夕の季節になるときまって思い出すのが「笹の葉ラプソディ」です。
「退屈」に収録されているこのお話、消失に繋がる大切なものとなっております。
また、中学一年時のハルヒの姿を確認できる資料としてもとても重要です。
七夕といえば、「願い事」ですよね。
4年前のこの日、ハルヒも一つ、織姫と彦星に向って「願い事」をしました。
それが「私はここにいる」というメッセージです。
このメッセージには彼女自身が「宇宙人にあたしを見つけて欲しい」というような願いを込めたと言っています。
しかし、別に「宇宙人」である必要はないと私は思います。
先日書いた記事でも述べましたが、この時期のハルヒはアイデンティティクライシスに陥ったばかりの頃ですので、「自分自身はなんなのか」とか考えています。
端的に言ってしまえば、このときの彼女は”孤独”だったのです。
どうしようもない孤独感に苛まれ、自分のことを”自分として”認めてくれるような存在を欲していました。
だから別に彼女のことを正面からぶつかってあげられる人物なら、きっと誰でも良かったのでしょう。(そう簡単にそういった存在は見つかったりしませんが)
ハルヒはそんな感情を抱えながら、
天に向かって「私を見つけて(私を孤独にしないで)」という願い事をします。
そして、ハルヒが切実な願いをしたこの日、独りで願い事をしたわけではないのは知っての通りです。
これがハルヒの願望実現能力によるものなのかは知り得ませんが、この日、ハルヒはたしかに孤独ではなかったのです。
七夕はご存知の通り、一年に一回だけ織姫と彦星が出会うことを許された日です。
ハルヒが織姫と彦星に願い事をしたこの日、キョンという彦星は3年という時を超え、ハルヒという織姫に会いに行ったのです。
ハルヒの願いを叶えてあげるために…。
(今年も例年通りSOS団のwebサイトが更新されていました。今年は少しかっこつけてこんな願い事をしておきます)
白石紬という可能性
ミリシタより新しく765プロの仲間に加わった白石紬の魅力についてただただ書き連ねるという記事になります。
コミュのネタバレは盛大にしていくのでご注意ください。
(と言っても、SSRが引けていないのでそのコミュについては触れられませんが…)
さて、まず彼女の魅力は纏っている雰囲気でしょう。
若干17歳にしてこの優雅な雰囲気。
この感覚はゲーム中のPも感じていましたね。
しかし、優雅と言ってもただ単に落ち着いていて、大人びているというわけでもありません。
まだ17歳なのですから、少女らしいも一面もいっぱい兼ね備えています。
以下ではそんな多彩な「一面」について書いていきたいと思います。
まず、メインコミュ第4話から。
この回では、紬をセンターに起用したことによる顛末が描かれています。
おそらくまだ39プロジェクトが始まって間もない頃の、十分に成長していない段階でのセンター起用だったのでしょう。紬自身、センターという大役に怯え不安になってしまいます。
そして終いには涙を見せる姿も…。
この涙からは紬の責任感の強さやアイドルへの真摯な姿勢を見て取れます。
その後、Pからの助言やエミリーたち仲間の支えもあって、無事初のセンター公演を乗り切ることができます。
この表情。とても美しいです。
しかも、初のセンターライブが終わった直後というのにすぐに反省もできてしまう意識の高さ。
そしてメモリアルコミュを順を追って見ていきます。
まず第1話。
この話では紬の年相応の少女らしい可愛さがうかがえます。
いきなりPに呼び出されて少し怯えていた紬ですが、真相(ただ単に紬が紹介してくれた甘味処でお食事したかっただけ)が分かるといつものように食ってかかってきます。
この「あなたは○○なのですか?」というセリフは口癖のようですね(笑)
しかし、和スイーツは紬の好物です。
このようにかわいらしく和スイーツを食べています。
しかもその理由が「食べ物は粗末にできません」とか、絶対意地張ってると思いますね。
(もちろん、食べ物は粗末にしてはいけませんが・・・)
次に第2話です。
宣材写真撮影での話のようですね。
元々無表情な紬は笑顔を求められる宣材写真で苦悩し、控え室で笑顔の練習をしています。(可愛い)
しかし、笑顔ってそんな風に造ったとしてもやはり変に硬くなってしまいます。
でも、そんな風に自分の弱点を自ら発見し、それを克服するよう努力ができることって私も素晴らしいことだと思います。
紬はそれを行えるとても良い子なんですよね…。
そして、褒められるとこんなにも可愛い表情を見せてくれます。
(方言が混じるところも可愛い…)
そして、出来上がった写真を見ると、紬はその写真を「まるで自分じゃないみたい」と形容します。それほどまでに自分のことを過小評価していたわけですね。
ほんと、色々分かっているような雰囲気を纏っていますが、まだまだこんなところが原石ですよね。磨いていきたいです。
第3話では初の舞台に緊張している紬の姿が描かれています。
普段は落ち着いた印象を抱かせてくれますが、紬はまだ17歳なんです。しかも女の子でです。この年の女の子の肝が据わっているという方が不気味です。紬も例外ではありません。紬はこの時、とてつもないプレッシャーを感じていたのでしょう。
そんなときに吐いたセリフが「私は…女の子ですから」という…。
なんて破壊力…。
こんな言葉を吐かれちゃ、支えてあげずにはいられません…。
しかし、最終的には不安を完全に払拭できたとは思えませんが、いい感じの緊張感を抱えたままステージに臨めたようで一安心です。
ここまで白石紬の性格について書き連ねましたが、
このようにまとめてみるとやはり、少女と大人の狭間にいる17歳の女の子で、これからの成長がとても楽しみになります。
次に、個人的にかなり気になっている、「紬がどうしてアイドルを目指しているのか」について書こうと思います。
紬は39プロジェクトに自ら応募してきたわけではありません。
プロデューサーと偶然出会い、その魅力ゆえにスカウトされます(メモリアルコミュ第1話参照)
そして、後日765プロに来ます。
この間に紬は転校と引っ越しの手続きを済ませてきています。
なにかアイドルに対する強い想いがなければこんな判断はできないはずです。
さらに、紬のセリフを見ていると度々出てくる「過去・幼い頃」の話。
これらのセリフから考えるに、おそらく紬は幼い頃にアイドルに強く惹かれたのでしょう。しかし、Pに出会うまではそんな幼い頃の夢なんて忘れていたか、自分自身思い出さないようにしていたのだと思います。
その紬のアイドルに対する想いはコミュで見れますが、人一倍強いものです。
正直、ここまで「”アイドルとして”頑張りたい!」という想いをぶつけてくる娘は少なかったと思います。
アイドルでいること自体に自分なりの意義を持っている娘は非常に好きですので、私も支えてあげたくなります。
おわりに・・・
白石紬はまだまだ色んな可能性に満ちていて、魅力あふれる女の子です。
持ち前の大人びた雰囲気を前面に押し出していくも良し、可憐な少女としての顔を出していくも良し。
さらにちょっと捻くれたところもまた可愛いという…。
きっとこれからもっとたくさんの表情で魅せてくれることでしょう。
なにより「アイドルをやりたい」から「アイドルに真剣」という姿勢が良いです。
そして、自ら至らないところを自覚し、その克服のために頑張ることができる。
なのでトップアイドルの可能性しか感じません。
しかしまだ紬自身分かっていないことがたくさんあります。
そんなとき、迷った紬のために道を拓いてあげるのがPの務めなのでしょう。
まだ彼女について知らないことばかりですが、共に歩み、彼女についてだんだんと知っていくことで、この可能性に満ちた蕾を綺麗に咲かせてあげたいですね。
(白石紬を見ていると、かつての貴音の姿を彷彿とさせられます。なので次は、紬と貴音の不思議な親和性・共通点について書いてみようと思います)
長門有希はヒツジの夢を見るか。
これまでハルヒ、キョンについて書いてきたので、次は長門かな、と…。
(二番煎じにもほどがあるタイトルだな…。中身もそうだけど…)
長門有希は「情報統合思念体」という高度な知的生命体によって生み出された対有機生命体ヒューマノイドインターフェースです。
目的は涼宮ハルヒを観測し、自立進化の可能性を探ること。
と、なっています。
しかし、長門の、思念体の目的って本当にそれだけなのでしょうか?
長門の親玉である思念体は地球どころか、宇宙全体で起こっている全事象を観測できてしまう規格外な存在です。
だから、ただ単純にハルヒを観測するだけなら長門や朝倉といった端末を地球に送り込む必要なんてありません。
逆に、ハルヒを刺激してしまったりして予測不可能な事態に陥る可能性が高まってしまいます。
長門を地球に送り込んだのは「主流派(主に観測をし、自律進化の可能性を模索する)」なのだから、ハルヒを刺激する必要はほとんどありません。
さらに、ハルヒと接触し、可能性を模索することが目的なのであれば3年間も自室に籠っている必要はなかったように思えます。
まあはっきり言って、長門には観測すること以外の、別の役割があります。
その根拠を以下で述べようと思います。
まず、長門は「涼宮ハルヒの憂鬱シリーズ」を通して、だんだんと感情を表していくようになります。それはキョンのモノローグや団員のセリフから察することができます。物語が進むにつれて、キョンは長門に対して「こいつの感情がわかるようになってきた」という感覚を抱いています。さらに古泉やハルヒも同様の感覚を味わっています。(もちろんキョンや古泉、ハルヒ自身が長門と接触していくにつれて長門の微々たる表情変化に慣れてきたというのもあるでしょうが)
次に、キョンは度々長門の性格について「どうしてこんな不器用な性格でなきゃならないんだ」という思いを抱いています。特に顕著なのは「消失」ですね。
「消失」において、キョンは「この長門有希にもっとまともな性格を与えることだってできただろうが。(中略)なんだって一人寂しく部屋に閉じこもって本だけ読んでそうな欝な娘を設定しやがったんだ」と述べています。
さらに、谷口流の書き方の特徴として、伏線は明確にしておくという特徴があります。
以上のことから考えるに、長門の本当の目的とは「自らの感情を発達させること」だと考えられます。
長門はハルヒやキョンたちと接触して、自らの感情を発達させます。
(「消失」において、長門はこれら感情のことを「エラー」と称しましたが、確実に長門が感情を発達させている証拠にはなります)
そしてそこから自律進化の糸口を探すことが思念体の本当の目的なのでしょう。
思念体自身では絶対にできませんが、コンタクト用ヒューマノイドインターフェースとしてならば可能でしょう。
典型的なSF作品ではよくあることですがロボットが感情を得て、成長していくという流れを谷川流氏はこの作品にも取り入れたのではないのでしょうか?
(長門をロボット呼ばわりしたくはありませんが便宜上こう書きました)
現状、長門の感情の起伏はそれほどだいたんではありませんが、最終的に涙を流すくらいの感情を得て欲しいものです。
(そこに「雪が解けた」というようなセリフを添えたいものです…)
白石紬ソロ曲「瑠璃色金魚と花菖蒲」の個人的解釈
白石紬に惹かれてしまいました。
なんていうか、纏っている雰囲気が好き。
いわゆる「ティンときた」ってやつです。
まあ彼女の魅力についてはおいおい書くとして、今回は彼女のソロ曲である「瑠璃色金魚と花菖蒲」についてある程度の解釈ができたのでそれを書こうと思います。
まず、タイトルに含まれる二つの名詞の「瑠璃色金魚」と「花菖蒲」についてです。
「金魚」はすぐに思い当たりました。
それは紬の「ヒミツ」です。
ここでは紬が過去に金魚すくいですくった金魚を大切にしているという内容が出てきます。また、なぜこの金魚を大切にしているのかとても気になります。
次は「花菖蒲」です。
花菖蒲は5~6月に咲く花ですね。この時期にはちょうど紬の誕生日(5/29)があります。
さらに歌詞全体の印象としては、「瑠璃色金魚」が「花菖蒲」に憧れに近い愛しさを抱いていますね。
そして、「花菖蒲」には「凛と咲き誇る」や「凛と佇んだ」といったような言葉が掛けられています。
このことから私は
「瑠璃色金魚」がアイドルになる前、あるいはなったばかりの現在の紬
「花菖蒲」がトップアイドルとなった未来の紬
と考えました。
以下は歌詞の細かい考察となります。
(もちろん、「瑠璃色金魚と花菖蒲」の歌詞を知っていることが前提条件となります)
まずAメロです。
このパートではおそらくアイドルに憧れている紬の精神状態が描かれているのだと思います。
アイドル(=花菖蒲)に憧れる紬(=瑠璃色金魚)。そんな紬の想い(=吐き出す空気)が叶うなんて(石川県という都会からは遠く離れた地に住んでいる)紬自身は決して考えていません。
次はBメロです。
ここでは紬のスカウトの話(白石紬メモリアルコミュ第1話)が描かれているのだと思います。
最初のフレーズはプロデューサーからの「アイドルに興味ないか!?」の提案のことを「はなびらが落ちる」ことに喩えているのだと考えられます。
花菖蒲はトップアイドルとなったあとの紬なのですから、そのトップアイドルになるためのきっかけ(はなびらひとひら)がプロデューサーによって紬に与えられた(落ちた)のです。
その瞬間に紬の世界は揺れ動いていきます(水面に落ちて震える)。
さらに、紬自身の心も揺さぶられます(震える指先)。
そしてBメロ第2フレーズでは、アイドルになりたいという欲望がプロデュースの言葉によって喚起されたことを表しています。
「アイドルになりたい」という願いが目覚め、感情が大きく揺さぶられ、まるで「世界が止ま」ったように感じたのでしょう。
そして第3フレーズで書かれている「外の世界」はもちろん「アイドルの世界」のことです。アイドルになる前にの、一般人の紬にとっては「アイドルの世界」は輝かしいのです。
そして第4フレーズはプロデューサーのスカウトの言葉に対する思いでしょう。
メインコミュ第4話と紬のメモリアルコミュ第1話を見てみて分かったのですが、紬はなかなか素直ではありません。
そんな素直ではない紬は、自分の心をこんなにも揺れ動かしたプロデューサーの行為を「罪」であると形容します。
それでも第5,6フレーズで素直な紬の本心が見て取れます。それが「心地いい」と「もう(アイドルとしての自分を)求めている」という言葉に集約されているのでしょう。
(「眩暈がしても心地いい」なんてまさに紬らしいなと感じますね)
そしてサビに繋がります。
前半は明瞭です。
トップアイドルとしての自分(=花菖蒲)を夢見るアイドルなりたての紬の心情が綴ってあります。
問題は後半です。
ちょっと解釈に手間取りました。
ざっくりいうと、アイドルになりたてでなかなか成果が出ない時期の紬の苦しい感情を綴っているのではないだろうか。というのが私の解釈です。
プロデューサーが紬をスカウトしました(灯した明かり)が、なかなか上へ上り詰めることができずに(燃えないまま)、低ランクアイドルでくすぶっている(今も青く棚引いている)。
そんな風に解釈しました。
そして続く「曇った硝子」というワード。
これに最も悩まされました。
そんな私にヒントを与えてくれたのが寺尾聡の「ルビーの指輪」です。
「くもり硝子」といえば真っ先に浮かぶのはこの曲です。
そして調べてみると、「ルビーの指輪」において「くもり硝子」は「つまらない現実」と「幸せの象徴の街」との境を意味しているそうです。
なのでこれを「瑠璃色金魚と花菖蒲」に当てはめてみます。
そうすると、「曇った硝子」は「一般人(”過去の”現実)としての紬」と「アイドル(幸せの”象徴”)としての紬」を隔てる障害のことを表しているのだと考えられました。
なのでサビの最後は「一般人からアイドルになる(曇った硝子を溶かす)ための素質(秘密)を持っているかどうか紬が自問自答している」と考えられます。
そしてラストサビです。
ここでは自身を見出してくれたプロデューサーに対する想いとトップアイドルになりたいという強い決意が綴られています。
プロデューサーが自分に対する期待(触れてくれた温もり&光)を無くしてしまったら、私はトップアイドルにはなれない(枯れていく)。
そんなことになってしまったらまた一般人に逆戻りしてしまう。
でもそんなことにはなりたくない(抜け出したい)。
そして、
「(だから)私きっと(トップアイドルになってやる)」
という最後のフレーズに繋がるのです。
強く、頼もしい感情が赤裸々に吐露されたのがラストサビなのです。
長くなりましたが、これで一通りの解説は終了です。
最後に、「花菖蒲」の花言葉は
「うれしい知らせ」
「あなたを信じる」
「優雅」
なのですが、これにはおそらくこんな意味を込めたのではないのでしょうか。
「うれしい知らせ」は「アイドルになるきっかけ(スカウト)」
「あなたを信じる」は「プロデューサーへの信頼」
「優雅」は「紬自身を形容した言葉」
「瑠璃色金魚と花菖蒲」はアイドルになりたてのまだ成熟しきっていない白石紬の心を見事に表すと同時に、トップアイドルになってやるという彼女の強い意志を
綴っているのだなと感心してしまいます。
いつか、曇り硝子で作られた小さな水槽で泳いでいた瑠璃色の金魚が、綺麗な花菖蒲として咲き乱れてくれることを願ってやみません。
いえ、必ず咲かせてみせます。
精神病の「治療」
先日、偶然にもメンタルヘルスの事業に携わっている方にお話を伺える機会がありました。
なんでも現在東京大学の教壇に立って教えられてもいるそうで…。
以下はそれについての内容と所感についてです。
いきなりですが、WHOの調査によると、自殺者数は年間80万人ほどだそうです。この数値はマラリアによる死亡者数(≒40万人)よりも、経産婦死亡者数(≒20万人)よりもはるかに多いんです。
さらに、現在の若い女性の死亡者数は、戦争よりも、他殺よりも、自殺が最も多いそうです。(他人よりも自分の方が殺すのに抵抗がないってことですよね…)
もちろんマラリアや経産婦に対する対策手段は国連において何十年も議論されています。
それでは「自殺」についてはどうでしょう。
全く議論されてきませんでした。
これほど多くの死亡者数を出しているのにも関わらず問題として議題に挙がらなかったのです。
自殺をするということは精神的に何か問題を抱えているはずです。
言葉は悪いかもしれませんが、これは列記とした病気なんです。
しかし精神病には特効薬はありません。
インフルエンザや食中毒のようになにか目に見える形で原因が浮上することはありませんから。
これがとても厄介なんです。
治療しようとも、治療する決定的な術がありません。
だから、病を悪化させ、終いには死に至る。
そこで我々ができることは精神病に対する理解を深め、その理解を他者にも押し広げていくことしかありません。
本当に地道な作業となりますが、こうするほかないんです。
そうすることで、精神病を患っている方が生活していても忌避の眼、好奇の眼を向ける人間のいない世界を創り出すしかないんです。
正直、個人的に現在の世の中はとても恐ろしいです。
精神病の方が電車の中で突発的に暴れてしまったり、公道で異常行動をしていた場合、その一連の行為を持っているスマホで撮影して、ネットに拡散させることが誰にでもできる。
さらに、それを見て笑う人間がいる。
これがとても怖い。
「監視社会」に似ていて、それ以上に気味が悪いです。
手足のない人に対しては「かわいそうに…。手助けしてあげなきゃ」なんて考えるのに、脳が少し欠けている人に対してはなんの配慮もない。
「近づきたくない」、「気持ち悪い」、「面白い」とか思ってばかり。
現在の社会は、精神病患者に対する理解度が浅い社会なんです。
普通の(原因が明確な)病気であれば、その原因を治療すればいいだけなんです。(それだって複雑で難しい場合もありますが…)
しかし、精神病は違う。現在明確な治療手段がありません。
疾患者の治療はできない。
だから逆に世の中の健常者の思考を「治す」しかありません。
優先治療対象が全く異なるんです。
精神病患者に対する有効な治療法が存在しない。
だから第一に世の中の健常者の異常な思考を「治療」し、精神病に対する理解深めさせ、精神病患者が生活しやすい世界にする。
それこそが精神病患者にとって一番の薬となります。
私は精神病患者が風邪やインフルエンザのように自ら病気であると告白しても誰も忌避しない、面白がらない、そんな社会がいつか訪れることを願ってやみません。
なので私も何らかの形でそういう事業の手伝いができたら…なんて漠然と考えていたりします。
(私の友人にも一人精神を病んでいる友人がいますが、彼は両親からの理解が得られなくとても苦労しています。そんな現実を目の当たりにしているせいか、この精神病を取り巻く課題は個人的に考えざるをえません)