エクス・マキナ -Ex Machina-
「エクス・マキナ」という映画を観ました。
この作品は2015年に公開され、第88回アカデミー賞視覚効果賞をはじめとした数々の賞を受賞した名作です。
ジャンルとしては、SFスリラーに分類されると思います。
それでは、以下の目次に沿って感想を書き連ねたいと思います。
1.自然と人工物
プロローグで目を惹かれるのは、ネイサンの所有する山峰の美しさ。
豊かな緑と氷の世界。
圧倒的なスケールの大自然に目が奪われた。
次に我々の前に現れるのは「AVA」という女性型AI。
パッケージにもAVAの容姿が写されている。
生身の人間のようなシルエットをしていながら、透過しているボディからは内蔵されている電子機器を覗くことができ、本来ならば不調和なはずの2つが併存しており、何とも言えない美しさと、恐怖を感じさせる。
本作品では、随所で自然を映すシーンがあり、まるで自然と人工物を明確に対比しているようだった。
1時間半以上にわたって繰り返されるこの対比が、ひときわ恐怖心の煽るエンディングへと結びつくのだと思う。(後述)
2.AVAの艶めかしさ
AVAは見かけ上、確かにロボットである。
電子回路の透けた身体に、硬質的な外殻。
人間に近い外見と言えば顔面と手足のみだ。
しかし、AVAからは人間以上の艶めかしさを感じられる。
AVAの動きは繊細で、上記のような性質からは無縁とも思える有機的な存在なのだという感覚を与える。
特に際立っていたのは衣服を着脱するシーンであろう。
指先から腕を通してワンピースを着るシーン、ソックスを脱ぐシーン、ワンピースをたくし上げて脱ぐシーン。
そのどれもが、AVAに鋭敏な神経が宿っているかのような錯覚を覚えさせ、AIらしからぬ艶めかしさを演出していた。
演じた、アリシア・ヴェキャンデルさんには感服する。
3.本能的な恐怖
人間にとって最も大きな脅威と言えば、それもまた”人間”であろう。
人間は有史以前から、数千年、数万年という長きにわたって、地球上の他種を圧倒してきた。
それでは、「人間を遥かに凌駕する他種が現れたら?」
これは創作物上で何度も扱われたテーマである。
それは時にして、モンスターだったり、地球外生命体だったり、あの世のモノだったりする。
今作ではそれが、AIだった。
人の生み出した怪物。それこそがAVAだ。
AVAは狡猾だ。人を騙し、己の願望を手にするためには人を殺めることさえ厭わない。
AVAは人の本能的な恐怖心を刺激する。
それは人以外の他種に圧倒されるという恐怖だ。
自身の艶めかしさを理解したうえでそれを利用し、人を貶め、人を殺める。
また、人以上の知能を兼ね備えているため、真意が分からない。
本能的な恐怖心を煽るピークのシーンは、研究施設から脱出し、山を歩くシーンだろう。
そのシーンでは、AVAの今作品中最高の笑顔が見られる。
ケイレブを惑わしたような微笑ではない。
心からの(AIの心の有無は別問題とし)笑顔を見ることができる。
笑顔は本能的な恐怖心を煽る。
それが高位の存在ならばなおさら。
AVAの笑顔は、人を騙し、殺し、研究施設から脱出した後に見られる。
極上の笑顔は最高の恐怖であった。
4.Deus ex machina
ラテン語で「機械仕掛けから出てくる神」という意味である。
人工知能を備えたAVAは人を出し抜き、欲望を達成した。
人の手に負えなくなったのであるから、まさしく機械仕掛けから逸脱し、人の高位の存在、神に等しい存在になったのだろう。
また、「Deus ex machina」にはもう二つの意味が隠されていると感じた。
1つは、AVAが研究施設の脱出に成功することの暗示である。
先のように、今作において神とはAVAのことである。
そうすると、「機械仕掛けから出てくるAVA」となる。
オートロックであったり、音声認識であったり、様々なデバイスによって支配されているこの研究施設はまさしく”機械仕掛け”の建物である。
つまり、「研究施設から出てくるAVA」と考えられた。
そして、この「Deus ex machina」は演出技法のことでもある。
悲劇にしばしば用いられ、解決困難な状況を解決に導く、思いもよらない存在のことを指す。
この作品もまた(種族人間にとっては)悲劇である。
人は蹂躙され、AIに完全敗北する。
しかし、神(AVA)が神だと証明されるのは最後である。
それでは何を解決するのだろうか?
それは恐らく、人同士の争いだろう。
AVAはケイレブとネイサンの争いを止めた。
ケイレブを出し抜き、ネイサンを殺すという手法で。
人間社会に溶け込んだAVAは恐らく同じように混沌とした人同士の争いを無くしていくのだろう。
その先の未来に人間が残っているかどうかは分からないが・・・・・・。