白んだ空、胸は明かず

Twitter:@siramune

ここ1年の変化。(ありきたりなタイトルでお届けする久しぶりの更新)

お題「#この1年の変化」

 

久しぶりにブログを更新します。

更新はしたかったのだけど、いざ書くとなると、何を書こうかと悩み更新できずにいました(言い訳終わり)。

 

まあ折角なので、「お題」に乗ろうと思います。

 

この1年間の変化って、僕にとっては様々ありました。

2年以上付き合っていた彼女との別れとか、新居に移ることになったこととか。

こんなたった2つの変化には集約できないけど、精神的、物理的な側面での変化が色々ありました(コロナウイルスとは関係なくて申し訳ない)。

 

なんで彼女と別れることになったのか、ここで多くを語ることはしませんが、僕の器量の小ささとか、心情理解力の低さとか、コミュニケーションの不足とか、そういった側面が強いのかなって思います。もっと簡素に言えば、性格の不一致といった言葉に纏まるのでしょうか。

そういうわけで、事実としての「別れ」という変化と、僕自身の「考えの見直し」という変化がありました。

 

ここからは、希望のある変化です。

 

なんやかんやあって、転居することを決めました(引っ越すしかないと言った方が正しい)。

多種多様な書類の整備、契約の更新があって、慌ただしい日常を送っています。

そんな生活のせいか、僕の心の中でもいつの間にか、前の彼女への踏ん切りもつきました。

今は、新しい生活へ向けて、どのような部屋にしようか、どのような習慣をつけようか、新しい彼女や友達を見つけよう、といった感情に満たされています。

 

今までの生活とは一度区切りをつけて、新しい生活を楽しみたいと思います。

それでも、今までの交友関係とか、変わらないもの、変えたくないものは大切にしていきたいと思います。

 

またしても殴り書きになってしまったけど、久しぶりに更新できて、何か書けて良かったです。

 

嫌われる勇気

本当に厄介な性格しているなって自分でも思う。

誰にも嫌われたくないから、

素顔を隠して振舞って。

嘘を吐いて生きて。

この一連の行動の結果がどうなるかなんて自分でも分かっている。

それでも、嫌われる勇気なんて微塵もないから、こうする他ない。

 

「嫌われる勇気」

私も手に取ったことのある名著だ。

理論は分かる。

でも、実践なんて不可能だ。

だって、そこに載っていた”理論”なんて自ずと分かっていた。

それなのに、この本を読んだから生き方が変わるなんてことはない。

 

頭でわかっているのに、体は馬鹿だから嫌いだ。

春の訪れ

今日は穏やかな気候だったので久しぶりに近所をゆっくりと散歩してきました。

目的もなく散歩してみると色々なことを発見できます。

例えば、木々にちらほらと芽吹きそうな小さな蕾ができていることや、厚手の上着を片手に持って歩いている女性や、ランニングしている人の多さ、などなど。

どれもこれも春の訪れを感じさせてくれます。

 

そして、そんな散歩中に見つけた一件の喫茶店。

明かるめの店内には、それに似つかわしい明るい店主が迎えてくれました。

調度品はアンティーク調で雰囲気も良かったです。

お昼は先に済ませてしまったため、軽めにコーヒーとサラダを注文。

美味しかったです(*´ω`)

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次は前に一度行ったことのある喫茶店へ。

私の家から近いところにある喫茶店の中では一番好きな喫茶店です。

コーヒーの味もさることながら、

70歳近い店主の女性が温かくて好きです。

店内には来月から大学生になるらしい女性や、小さい子供を連れた4人家族、

私の隣で話しかけてきてくれ、チョコをくれた90歳過ぎの女性。

色んな人が集まる絵にかいたような喫茶店です。

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せっかくの休日を利用して近所を散歩するのは贅沢なんだなと感じました。

予定のない休みの日だとついつい家でゆっくりすることや作業したいと考えてしまいますが、散歩するとこれまた違ったリラックスができて幸せでした。

 

家から出ると新しい出会いはそこら中に転がってるんだとも実感しました。

 

春が近づき、また新たな出会いが生まれる。

今日はまさしく「春」を先取りできた1日でした。

 

 

ゲームの進化と脳内補完力の衰退

最近はもっぱらモンスターハンターワールドを遊んでいます。

PSP時代から3DS時代の作品も追いかけていた自分にとっては、

このモンハンワールドはまさしく夢が叶った作品と言えます。

綺麗なグラフィックとシームレスなモーション、壮大なBGM、奥行きのあるストーリー、どこをとっても高評価を付けたくなる作品です。

しかし、世間にとってはそうでもない部分もあるらしく・・・。

そのうちの1つが、「受付嬢へのヘイト」です。

受付嬢は主人公である”ハンター”をサポートし、クエスト(ミッション)を編纂する役割を担っています。

その性質上、表立って活躍する場を設けることできないのです。

ましてや主人公が中心の作品ですから、主人公を活躍させるシーンが多いので相対的に受付嬢は活躍できなくなってしまいます。

そういった背景を認識せずに「受付嬢が無能すぎる」などと言っている人が多いんじゃないかな、と思います。

 

でも、問題の本質はこれから話すことにあります。

 

ゲームはコンピュータ技術の進歩とともに進化してきました。

容量が大きくなり、処理速度が向上し、(技術上の問題から)ゲームで描けない作品なんてないと言っても過言ではないでしょう。

むかしは容量がオーバーしないように作品に落とし込む要素を極限まで減らしていたでしょう。

でも今は容量が増大したから、そのような苦労は減ったのではないでしょうか。

また、モンスターハンターは今までもユーザーにストーリーの保管をすることを前提にしたストーリーだったような気がします。

ゲームの登場人物間の会話から裏に起こった物語を想像したり、わずかなムービーから情報を得てストーリーの理解に応用したり・・・など・・・。

 

一方モンスターハンターワールドはかなり丁寧に描かれています。

PS4の性能をフルに活かし、豊富なムービーでユーザーをその世界へと誘います。

ただそれにより、ゲームをプレイする側がひどく受動的になってしまったのではないかと考えます。

描かれているものが多いから、”描かれていないものは想像しない”。

そんな風に受動的に楽しみがちになってしまう。

そんなことを考えてしまいます。

 

ゲームが進化するのは嬉しい。

しかし、ゲームは積極的にプレイしていきたいです。

物語への参加方法が、映画ともドラマとも本とも、圧倒的に異なるのがゲームなのですから。

高校時代の友人と飲んだ

タイトル通りです。

今日、新宿で高校時代の友人と初めて飲みました。

高校時代は色々あって封印してたのですが、今日その封印が解かれました。

 

3時間半くらい近況も含めて話してたのですが、あっという間に過ぎてしまいました。

お互い大学生で、20も過ぎてて、なんか、こう、低俗に成長したなぁと感じましたね。

お互い汚い人間になったなぁと……。

私に至っては未だに仮面被ったまま話してるし……。

今日の飲みで私の本音が出たことよりも、虚栄や誇張が出たことの方が多いでしょう……。

高校時代の友人と話すといつもこうなってしまう……。

どうしてこんな奴になってしまったのか……。

その原因はきっと高校以降にあるんだけど、じゃあどうやって治したら良いのか分からない。

まぁ、高校時代の人たちと会わなければそれで解決するのですが。

 

エクス・マキナ -Ex Machina-

エクス・マキナ」という映画を観ました。

この作品は2015年に公開され、第88回アカデミー賞視覚効果賞をはじめとした数々の賞を受賞した名作です。

ジャンルとしては、SFスリラーに分類されると思います。

それでは、以下の目次に沿って感想を書き連ねたいと思います。

1.自然と人工物

プロローグで目を惹かれるのは、ネイサンの所有する山峰の美しさ。

豊かな緑と氷の世界。

圧倒的なスケールの大自然に目が奪われた。

次に我々の前に現れるのは「AVA」という女性型AI。

パッケージにもAVAの容姿が写されている。

生身の人間のようなシルエットをしていながら、透過しているボディからは内蔵されている電子機器を覗くことができ、本来ならば不調和なはずの2つが併存しており、何とも言えない美しさと、恐怖を感じさせる。

本作品では、随所で自然を映すシーンがあり、まるで自然と人工物を明確に対比しているようだった。

1時間半以上にわたって繰り返されるこの対比が、ひときわ恐怖心の煽るエンディングへと結びつくのだと思う。(後述)

 

2.AVAの艶めかしさ

AVAは見かけ上、確かにロボットである。

電子回路の透けた身体に、硬質的な外殻。

人間に近い外見と言えば顔面と手足のみだ。

しかし、AVAからは人間以上の艶めかしさを感じられる。

AVAの動きは繊細で、上記のような性質からは無縁とも思える有機的な存在なのだという感覚を与える。

特に際立っていたのは衣服を着脱するシーンであろう。

指先から腕を通してワンピースを着るシーン、ソックスを脱ぐシーン、ワンピースをたくし上げて脱ぐシーン。

そのどれもが、AVAに鋭敏な神経が宿っているかのような錯覚を覚えさせ、AIらしからぬ艶めかしさを演出していた。

演じた、アリシア・ヴェキャンデルさんには感服する。

 

3.本能的な恐怖

人間にとって最も大きな脅威と言えば、それもまた”人間”であろう。

人間は有史以前から、数千年、数万年という長きにわたって、地球上の他種を圧倒してきた。

それでは、「人間を遥かに凌駕する他種が現れたら?」

これは創作物上で何度も扱われたテーマである。

それは時にして、モンスターだったり、地球外生命体だったり、あの世のモノだったりする。

今作ではそれが、AIだった。

人の生み出した怪物。それこそがAVAだ。

AVAは狡猾だ。人を騙し、己の願望を手にするためには人を殺めることさえ厭わない。

AVAは人の本能的な恐怖心を刺激する。

それは人以外の他種に圧倒されるという恐怖だ。

自身の艶めかしさを理解したうえでそれを利用し、人を貶め、人を殺める。

また、人以上の知能を兼ね備えているため、真意が分からない。

本能的な恐怖心を煽るピークのシーンは、研究施設から脱出し、山を歩くシーンだろう。

そのシーンでは、AVAの今作品中最高の笑顔が見られる。

ケイレブを惑わしたような微笑ではない。

心からの(AIの心の有無は別問題とし)笑顔を見ることができる。

笑顔は本能的な恐怖心を煽る。

それが高位の存在ならばなおさら。

AVAの笑顔は、人を騙し、殺し、研究施設から脱出した後に見られる。

極上の笑顔は最高の恐怖であった。

 

4.Deus ex machina

ラテン語で「機械仕掛けから出てくる神」という意味である。

人工知能を備えたAVAは人を出し抜き、欲望を達成した。

人の手に負えなくなったのであるから、まさしく機械仕掛けから逸脱し、人の高位の存在、神に等しい存在になったのだろう。

また、「Deus ex machina」にはもう二つの意味が隠されていると感じた。

1つは、AVAが研究施設の脱出に成功することの暗示である。

先のように、今作において神とはAVAのことである。

そうすると、「機械仕掛けから出てくるAVA」となる。

オートロックであったり、音声認識であったり、様々なデバイスによって支配されているこの研究施設はまさしく”機械仕掛け”の建物である。

つまり、「研究施設から出てくるAVA」と考えられた。

 

そして、この「Deus ex machina」は演出技法のことでもある。

悲劇にしばしば用いられ、解決困難な状況を解決に導く、思いもよらない存在のことを指す。

この作品もまた(種族人間にとっては)悲劇である。

人は蹂躙され、AIに完全敗北する。

しかし、神(AVA)が神だと証明されるのは最後である。

それでは何を解決するのだろうか?

それは恐らく、人同士の争いだろう。

AVAはケイレブとネイサンの争いを止めた。

ケイレブを出し抜き、ネイサンを殺すという手法で。

人間社会に溶け込んだAVAは恐らく同じように混沌とした人同士の争いを無くしていくのだろう。

その先の未来に人間が残っているかどうかは分からないが・・・・・・。

 

「幸せへと戻る道」と「幸せへと進む道」

まず初めに、

WHITE ALBUM2 EXTENDED EDITION」発売おめでとうございます!

そして、ありがとうございます!

 

2018年2月14日にリリースされた、WA2完全版。

この発売を機に、今まであえてやらずにいた「ミニアフターストーリー」をプレイした。

プレイしてしまったら、そこで私のWA2が終わりそうな気がしていたから・・・。

でもWA2を初めてクリアしてから少しとも言えないくらいの時間が経ち、

自分の中で十分温めただろうと思えたから、今回プレイした。

だから、そんなに長くない簡単な感想を書こうと思う。

それぞれの話に関して事細かに感想を述べるつもりはない。

たくさんのファンが書いて、発信しているだろうからね。

2つの話を比較しながら、書こうと思う。

(はっきり言ってお粗末すぎる解釈だから、批判とかあると思うけど、お手柔らかにお願いします)

 

 

「幸せへと戻る道」と「幸せへと進む道」

プレイする以前からこの二つの話のタイトルは知っていた。

かずさとの話が「戻る道」

雪菜との話が「進む道」

なぜ、真逆の言葉が使われているのか、それが一番に知りたいことだった。

 

 

かずさTrueと雪菜Trueにはラストに大きな違いがある。

それは「友人たちと決別するかしないか」という違いである。

かずさTrueは一度全員と決別することを選んだ道。

対して、雪菜Trueでは雪菜を筆頭に積極的にあらゆる関係を維持することを選んだ道。

この他者に対して行った態度の違いが「戻る」と「進む」に繋がっていると思う。

 

ここで、「戻る道の夫婦」と「進む道の夫婦」、双方の印象を書いておきたい。

「かずさと春希」に対する印象は、「良くも悪くもあまり変わってないな」という印象だった。

確かに、3年前を土台にし、ふたりの絆はより強固となり、成長した姿は見れる。

それでもかずさは春希がいないと生きていけないような脆さが見え隠れしていた。

対して「雪菜と春希」に対する印象は、「社会人やってるな、変わったな」というものだった。

かつてのような「約束」に固執せず、お互いがお互いの立場を踏まえたうえで、関係を維持しているように見えた。

このような違いがなぜ生まれたのか。

それが私には「友人たちの存在」、ひいては「かずさにとっての雪菜の存在」、あるいは「雪菜にとってのかずさの存在」なのではないかと思えた。

お気づきだと思うが、「戻る道」には「雪菜」というワードが一度として出てこない。

最後の最後でさえ「友人3」という表記だ。

ここは、かずさと春希があえて雪菜を遠ざけていることをしめしているのだろう。

一方、「進む道」ではしっかり雪菜の口から「かずさ」というワードが出てくる。

しかも、さも当然であるかのように。

このように、ふたりの一方に対する扱いの違いが鮮明に描かれている。

3人が3人でいるから変わるのか、雪菜が2人を引っ張っているのか、それは判別できない。

ただ、「戻る道」と「進む道」を比較して、

この3人は3人の関係を保っていると変わりやすいのだろう、

本当の幸せのカタチに近づくのだろうと思えた。

また、「進む道」の春希のモノローグにこんなものがある。

「自分から見ること、触れることが必要・・・・・・」と。

これが如実に反映されているのがこの二つの違いなのではないか。

そう思えた。

 

さて、本題の「戻る」と「進む」の意味について書いていきたい。

タイトルもそうだが、この2つの話は綺麗に対比が成されている。

双方の夫婦はこの物語を通して、彼女らなりの「幸せ」へと前向きに歩んでいる。

かずさたちは「日本へと戻り、思い出の詰まった地へと赴き、過去を払拭するカタチ」で。

雪菜たちは「過去の出来事を、思い出に昇華し、未来に全力を注ぐというカタチ」で。

この2つを形容させたのが「住まいの移転」なのだろう。

ここも綺麗な対比が見て取れた。

「戻る道」では「かつての邸宅に戻り未来を築くカタチ」が、

「進む道」では「大学以来のアパートから新居に引っ越して未来を築くカタチ」が。

(「幸せへと戻る道」で本当に邸宅に戻るかどうかは定かではないが、そういう選択肢が提示されたということで)

「進む」は以上のことと、雪菜Trueからの続きという点でそのままの意味だろう。

 

それでは「戻る」とは・・・?

「全ての罪を許し、2人が2人のはじまりの場所へと戻り、2人の未来を改めて築く」

私にはそう思えた。

2人は最初からかずさTrueまでの長い間に多くの過ちを繰り返した。

(それを咎めることはできないが)

だから、「戻る道」では、

「すべての罪の許し」が与えられ、

はじまりへと”戻り”、

幸せへと歩むことが示された。

そう思えた。

そして前述した「3人の関係」。

「戻る道」の最後には「2人の罪を許したであろう雪菜」が現れる。

だから、きっと、3人はまた3人に戻る。

 

かずさと春希が雪菜を「自分から見て、触れることで」、

はじめて「幸せへと戻る」ことができるのだろう。

 

とにかく、WA2に会えて本当に良かった。

ミニアフはとても、とても良かった。

 

 

 

 

最後に、

曜子さん、本当にありがとうございました。