白んだ空、胸は明かず

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「ACE COMBAT 7」のPVにみた、「三本線=ピクシー説」

今日、エースコンバット7の発売日が発表された。

なんと、2019年1月17日発売!!!

発売決定おめでとうございます!

そして、ありがとうございます!

 

早速だが、本題に入りたい。

そのため、エースコンバット7の舞台について軽く説明する。

今回の舞台は2019年、オーシアvsエルジアの戦争(第二次大陸戦争/灯台戦争)。

プレイヤーは、オーシア国防空軍に所属し、空を翔ることとなる。

そして、今作で注目を集めているのは「三本線」と呼ばれる機体。そして、その機体の老齢のパイロット。

f:id:siramune:20180821182832p:plain↑これが三本線の機体(Su-30)

 

第一印象は、「どこかで見たことがあるようなカラーリングだ」だった。

すぐに思い当たった。

「ピクシー(ラリー・フォルク)に似ている……!」

 

というわけで今回はこの直感を頼りに、「三本線=ピクシー説」について書こうと思う。

(と言っても、公開されている情報が少ないため、上手く纏まらない気はするが…汗)

 

根拠1.機体のカラーリング

三本線のカラーリングを見て、ピクシーを思い出したのは私だけではないだろう。

翼に映える朱。

エースコンバット0をプレイした者なら、ピクシーを思い出すに違いない。

しかし、三本線の赤は両翼にある。

ここで思い出してみよう…エースコンバット0の主人公のカラーリングを。

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これが、0の主人公(サイファー)の機体(F-15)のカラーリングだ。

カラーが両翼に描いてある。

ピクシーには相棒、天敵がいた。

それがサイファーだ。

そして、ピクシーはサイファーのことが大好きだった。

ピクシーがサイファーに憧れ、カラーリングを真似た可能性は否定できない。

片羽の妖精が、両翼で戻ってきたとなればかなり熱い。

(下の画像は三本線の機体)

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根拠2.老齢のパイロット(三本線)の思想

まず、ピクシーの思想をおさらしよう。

ピクシーは、空から地上を見て、地球表面上には国境がないことを実感していた。

そのため、「国境」という概念について疑問・関心を寄せていた。

それが以下のような言葉として表されている。

 

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「どの国も大して変わらん」という言葉。

そして、本日発表されたエースコンバット7のPVにて明らかになった三本線の言葉が以下のようなものだ。

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「だが 国とはなんだ」

この言葉から、三本線は「国」というものについて疑問・関心を寄せていることは明らかだろう。

似ている…。

ピクシーの思想に似ている…。

 

根拠3.時代設定

今回の舞台は、2019年。

エースコンバット0の舞台であった1995年(ベルカ戦争)から、24年後である。

そして、7はンバリングタイトルであるから、7は0と地続きの世界である。

ピクシーは1995年時で28歳。

存命であれば、2019年には52歳である。

三本線の年齢は不明だが、52歳と言われたら納得できる容姿である。

(三本線とピクシーの画像を並べてみた。主観的だが、どことなく似ている気がする…?)

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根拠 4.三本線の過去

エースコンバット7のPVからは、三本線がかつて名を馳せたパイロットであることがうかがえる。

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このセリフの「あの機体」は三本線であるように思える。

ピクシーはベルカ戦争時、「片羽の妖精」として名を馳せていた。

このセリフの語り手は若い女性だったが、「おじい様」が現役の頃の時代はベルカ戦争の頃だったのではないだろうか…?

 

(根拠5.三本線(?)のセリフ)

この根拠にはあまり自信がないので括弧つきとしました。

というのも、セリフが三本線のものかどうか怪しいっていうこと。

加えて、セリフの対象者が誰なのか判別できないことが、その理由だ。

その肝心のセリフがこれ。

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「いつの時代もこういうパイロットがいる」

たしかに、年老いた男性の声であることは明らか。

しかし、本当に三本線かどうかは分からない。

「こういうパイロット」が三本線のことなのか、それともプレイヤーなのか…。

そして、このセリフを聞いたときに思い出したセリフがこれ。

 

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 エースコンバット0に登場した、「グリューン隊」隊長のベルンハルト・シュミットのセリフ。

シュミットは、戦場に出現した「特異体(圧倒的強者/サイファー)」についてこう語っている。

サイファーを間近で見ていたピクシーも同じように感じ、「戦いの申し子」とまで呼んだ。

もしも、7の三本線がピクシーであったならば、7の主人公に対しサイファーの面影を感じ取り、「こういうパイロット」と形容した可能性が浮上する。

 

 

以上が、私の考えた「三本線=ピクシー説」だ。

本当にこの通りであれば、めちゃくちゃ興奮する。

(私がピクシーのこと大好きだから。)

 

そうでなくても、

エースコンバット7の美麗な空に美しい機体、新たな戦場に心が躍る!

 

エースコンバット7の発売が待ち遠しい…。

恋愛感情の不可逆性

先日、「2つの好き」について簡単に記事を書いた。

今回はその2つの関係(?)について簡単に書こうと思う。

 

人を好きになるプロセスって、流れがあって、

「他人」から「友達として好き」という段階を経由して、

「恋愛対象として好き」という感情が発生するのはその後だ。

少なくとも私や、私の周りの世界ではこう思っている人がほとんどだ。

 

じゃあ、その逆の流れはあるのか?

 

ある。

ただ、ある段階が1つ欠落する。

あるいは、その段階自体が変化する。

 

「恋愛感情として好き」から「(ただの)友達として好き」という感情に戻ることは決してないと思う。

戻るとしたら、「色々あった上で了承し合った友達、つまり、複雑な感情がせめぎ合う友達」か「他人」のどっちかなんじゃないかな。

 

恋愛感情はこんな風に関係を壊す。

でも、その感情を止めることなんてできない。

恋愛感情を自覚したら負けのチキンレースに生きている。

2つの好き

「好き」って2種類ある。

「友達として好き」と「恋愛対象として好き」の2種類。

でも、その境目ってのは曖昧だ。

 

恋愛対象として好きという人は、

「辛い時に思い出す人」

「まだ一緒にいたいって思える人」

などなど、人によって様々。

 

自分自身、線引きがあいまいだった。

でも、最近やっと答えが見つかった。

 

「恋愛対象として好き」って人は、

「触られても大丈夫な人」なんだ。

 

身体に触れられても、

心に、弱いところに触れられても大丈夫な人は恋愛対象として好き。

 

たぶんこれから先、認識は変わるだろう。

でもひとまず今は、この答えを信じる。

嘘は嘘

人を傷つけるために吐く嘘。

人を庇うために吐く嘘。

そして、自分を守るために吐く嘘。

「嘘」には色んな嘘がある。

生きていると、半ば嘘を吐かないとやってられない場面に遭遇して、流れ作業のように嘘を吐く。

そして、吐いた嘘は積み重なり、いつか自分に断罪という名の剣を振り下ろす。

 

昨日も嘘を吐いた。

いや、嘘を吐いてってお願いされた。

彼女がそう望んだから、”やさしい”俺はまた一つ嘘を積み重ねた。

 

俺はまた一つ嘘を吐いた。

彼女を安心させるために。

彼女だけを見るフリをするために。

 

それでも、嘘は嘘でしかない。

断罪という名の剣が、俺の首にまた少し近づいた。

嫌われる勇気

本当に厄介な性格しているなって自分でも思う。

誰にも嫌われたくないから、

素顔を隠して振舞って。

嘘を吐いて生きて。

この一連の行動の結果がどうなるかなんて自分でも分かっている。

それでも、嫌われる勇気なんて微塵もないから、こうする他ない。

 

「嫌われる勇気」

私も手に取ったことのある名著だ。

理論は分かる。

でも、実践なんて不可能だ。

だって、そこに載っていた”理論”なんて自ずと分かっていた。

それなのに、この本を読んだから生き方が変わるなんてことはない。

 

頭でわかっているのに、体は馬鹿だから嫌いだ。

春の訪れ

今日は穏やかな気候だったので久しぶりに近所をゆっくりと散歩してきました。

目的もなく散歩してみると色々なことを発見できます。

例えば、木々にちらほらと芽吹きそうな小さな蕾ができていることや、厚手の上着を片手に持って歩いている女性や、ランニングしている人の多さ、などなど。

どれもこれも春の訪れを感じさせてくれます。

 

そして、そんな散歩中に見つけた一件の喫茶店。

明かるめの店内には、それに似つかわしい明るい店主が迎えてくれました。

調度品はアンティーク調で雰囲気も良かったです。

お昼は先に済ませてしまったため、軽めにコーヒーとサラダを注文。

美味しかったです(*´ω`)

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次は前に一度行ったことのある喫茶店へ。

私の家から近いところにある喫茶店の中では一番好きな喫茶店です。

コーヒーの味もさることながら、

70歳近い店主の女性が温かくて好きです。

店内には来月から大学生になるらしい女性や、小さい子供を連れた4人家族、

私の隣で話しかけてきてくれ、チョコをくれた90歳過ぎの女性。

色んな人が集まる絵にかいたような喫茶店です。

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せっかくの休日を利用して近所を散歩するのは贅沢なんだなと感じました。

予定のない休みの日だとついつい家でゆっくりすることや作業したいと考えてしまいますが、散歩するとこれまた違ったリラックスができて幸せでした。

 

家から出ると新しい出会いはそこら中に転がってるんだとも実感しました。

 

春が近づき、また新たな出会いが生まれる。

今日はまさしく「春」を先取りできた1日でした。

 

 

ゲームの進化と脳内補完力の衰退

最近はもっぱらモンスターハンターワールドを遊んでいます。

PSP時代から3DS時代の作品も追いかけていた自分にとっては、

このモンハンワールドはまさしく夢が叶った作品と言えます。

綺麗なグラフィックとシームレスなモーション、壮大なBGM、奥行きのあるストーリー、どこをとっても高評価を付けたくなる作品です。

しかし、世間にとってはそうでもない部分もあるらしく・・・。

そのうちの1つが、「受付嬢へのヘイト」です。

受付嬢は主人公である”ハンター”をサポートし、クエスト(ミッション)を編纂する役割を担っています。

その性質上、表立って活躍する場を設けることできないのです。

ましてや主人公が中心の作品ですから、主人公を活躍させるシーンが多いので相対的に受付嬢は活躍できなくなってしまいます。

そういった背景を認識せずに「受付嬢が無能すぎる」などと言っている人が多いんじゃないかな、と思います。

 

でも、問題の本質はこれから話すことにあります。

 

ゲームはコンピュータ技術の進歩とともに進化してきました。

容量が大きくなり、処理速度が向上し、(技術上の問題から)ゲームで描けない作品なんてないと言っても過言ではないでしょう。

むかしは容量がオーバーしないように作品に落とし込む要素を極限まで減らしていたでしょう。

でも今は容量が増大したから、そのような苦労は減ったのではないでしょうか。

また、モンスターハンターは今までもユーザーにストーリーの保管をすることを前提にしたストーリーだったような気がします。

ゲームの登場人物間の会話から裏に起こった物語を想像したり、わずかなムービーから情報を得てストーリーの理解に応用したり・・・など・・・。

 

一方モンスターハンターワールドはかなり丁寧に描かれています。

PS4の性能をフルに活かし、豊富なムービーでユーザーをその世界へと誘います。

ただそれにより、ゲームをプレイする側がひどく受動的になってしまったのではないかと考えます。

描かれているものが多いから、”描かれていないものは想像しない”。

そんな風に受動的に楽しみがちになってしまう。

そんなことを考えてしまいます。

 

ゲームが進化するのは嬉しい。

しかし、ゲームは積極的にプレイしていきたいです。

物語への参加方法が、映画ともドラマとも本とも、圧倒的に異なるのがゲームなのですから。