白んだ空、胸は明かず

Twitter:@siramune

恋愛感情の不可逆性

先日、「2つの好き」について簡単に記事を書いた。

今回はその2つの関係(?)について簡単に書こうと思う。

 

人を好きになるプロセスって、流れがあって、

「他人」から「友達として好き」という段階を経由して、

「恋愛対象として好き」という感情が発生するのはその後だ。

少なくとも私や、私の周りの世界ではこう思っている人がほとんどだ。

 

じゃあ、その逆の流れはあるのか?

 

ある。

ただ、ある段階が1つ欠落する。

あるいは、その段階自体が変化する。

 

「恋愛感情として好き」から「(ただの)友達として好き」という感情に戻ることは決してないと思う。

戻るとしたら、「色々あった上で了承し合った友達、つまり、複雑な感情がせめぎ合う友達」か「他人」のどっちかなんじゃないかな。

 

恋愛感情はこんな風に関係を壊す。

でも、その感情を止めることなんてできない。

恋愛感情を自覚したら負けのチキンレースに生きている。

2つの好き

「好き」って2種類ある。

「友達として好き」と「恋愛対象として好き」の2種類。

でも、その境目ってのは曖昧だ。

 

恋愛対象として好きという人は、

「辛い時に思い出す人」

「まだ一緒にいたいって思える人」

などなど、人によって様々。

 

自分自身、線引きがあいまいだった。

でも、最近やっと答えが見つかった。

 

「恋愛対象として好き」って人は、

「触られても大丈夫な人」なんだ。

 

身体に触れられても、

心に、弱いところに触れられても大丈夫な人は恋愛対象として好き。

 

たぶんこれから先、認識は変わるだろう。

でもひとまず今は、この答えを信じる。

嘘は嘘

人を傷つけるために吐く嘘。

人を庇うために吐く嘘。

そして、自分を守るために吐く嘘。

「嘘」には色んな嘘がある。

生きていると、半ば嘘を吐かないとやってられない場面に遭遇して、流れ作業のように嘘を吐く。

そして、吐いた嘘は積み重なり、いつか自分に断罪という名の剣を振り下ろす。

 

昨日も嘘を吐いた。

いや、嘘を吐いてってお願いされた。

彼女がそう望んだから、”やさしい”俺はまた一つ嘘を積み重ねた。

 

俺はまた一つ嘘を吐いた。

彼女を安心させるために。

彼女だけを見るフリをするために。

 

それでも、嘘は嘘でしかない。

断罪という名の剣が、俺の首にまた少し近づいた。

嫌われる勇気

本当に厄介な性格しているなって自分でも思う。

誰にも嫌われたくないから、

素顔を隠して振舞って。

嘘を吐いて生きて。

この一連の行動の結果がどうなるかなんて自分でも分かっている。

それでも、嫌われる勇気なんて微塵もないから、こうする他ない。

 

「嫌われる勇気」

私も手に取ったことのある名著だ。

理論は分かる。

でも、実践なんて不可能だ。

だって、そこに載っていた”理論”なんて自ずと分かっていた。

それなのに、この本を読んだから生き方が変わるなんてことはない。

 

頭でわかっているのに、体は馬鹿だから嫌いだ。

春の訪れ

今日は穏やかな気候だったので久しぶりに近所をゆっくりと散歩してきました。

目的もなく散歩してみると色々なことを発見できます。

例えば、木々にちらほらと芽吹きそうな小さな蕾ができていることや、厚手の上着を片手に持って歩いている女性や、ランニングしている人の多さ、などなど。

どれもこれも春の訪れを感じさせてくれます。

 

そして、そんな散歩中に見つけた一件の喫茶店。

明かるめの店内には、それに似つかわしい明るい店主が迎えてくれました。

調度品はアンティーク調で雰囲気も良かったです。

お昼は先に済ませてしまったため、軽めにコーヒーとサラダを注文。

美味しかったです(*´ω`)

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次は前に一度行ったことのある喫茶店へ。

私の家から近いところにある喫茶店の中では一番好きな喫茶店です。

コーヒーの味もさることながら、

70歳近い店主の女性が温かくて好きです。

店内には来月から大学生になるらしい女性や、小さい子供を連れた4人家族、

私の隣で話しかけてきてくれ、チョコをくれた90歳過ぎの女性。

色んな人が集まる絵にかいたような喫茶店です。

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せっかくの休日を利用して近所を散歩するのは贅沢なんだなと感じました。

予定のない休みの日だとついつい家でゆっくりすることや作業したいと考えてしまいますが、散歩するとこれまた違ったリラックスができて幸せでした。

 

家から出ると新しい出会いはそこら中に転がってるんだとも実感しました。

 

春が近づき、また新たな出会いが生まれる。

今日はまさしく「春」を先取りできた1日でした。

 

 

ゲームの進化と脳内補完力の衰退

最近はもっぱらモンスターハンターワールドを遊んでいます。

PSP時代から3DS時代の作品も追いかけていた自分にとっては、

このモンハンワールドはまさしく夢が叶った作品と言えます。

綺麗なグラフィックとシームレスなモーション、壮大なBGM、奥行きのあるストーリー、どこをとっても高評価を付けたくなる作品です。

しかし、世間にとってはそうでもない部分もあるらしく・・・。

そのうちの1つが、「受付嬢へのヘイト」です。

受付嬢は主人公である”ハンター”をサポートし、クエスト(ミッション)を編纂する役割を担っています。

その性質上、表立って活躍する場を設けることできないのです。

ましてや主人公が中心の作品ですから、主人公を活躍させるシーンが多いので相対的に受付嬢は活躍できなくなってしまいます。

そういった背景を認識せずに「受付嬢が無能すぎる」などと言っている人が多いんじゃないかな、と思います。

 

でも、問題の本質はこれから話すことにあります。

 

ゲームはコンピュータ技術の進歩とともに進化してきました。

容量が大きくなり、処理速度が向上し、(技術上の問題から)ゲームで描けない作品なんてないと言っても過言ではないでしょう。

むかしは容量がオーバーしないように作品に落とし込む要素を極限まで減らしていたでしょう。

でも今は容量が増大したから、そのような苦労は減ったのではないでしょうか。

また、モンスターハンターは今までもユーザーにストーリーの保管をすることを前提にしたストーリーだったような気がします。

ゲームの登場人物間の会話から裏に起こった物語を想像したり、わずかなムービーから情報を得てストーリーの理解に応用したり・・・など・・・。

 

一方モンスターハンターワールドはかなり丁寧に描かれています。

PS4の性能をフルに活かし、豊富なムービーでユーザーをその世界へと誘います。

ただそれにより、ゲームをプレイする側がひどく受動的になってしまったのではないかと考えます。

描かれているものが多いから、”描かれていないものは想像しない”。

そんな風に受動的に楽しみがちになってしまう。

そんなことを考えてしまいます。

 

ゲームが進化するのは嬉しい。

しかし、ゲームは積極的にプレイしていきたいです。

物語への参加方法が、映画ともドラマとも本とも、圧倒的に異なるのがゲームなのですから。

高校時代の友人と飲んだ

タイトル通りです。

今日、新宿で高校時代の友人と初めて飲みました。

高校時代は色々あって封印してたのですが、今日その封印が解かれました。

 

3時間半くらい近況も含めて話してたのですが、あっという間に過ぎてしまいました。

お互い大学生で、20も過ぎてて、なんか、こう、低俗に成長したなぁと感じましたね。

お互い汚い人間になったなぁと……。

私に至っては未だに仮面被ったまま話してるし……。

今日の飲みで私の本音が出たことよりも、虚栄や誇張が出たことの方が多いでしょう……。

高校時代の友人と話すといつもこうなってしまう……。

どうしてこんな奴になってしまったのか……。

その原因はきっと高校以降にあるんだけど、じゃあどうやって治したら良いのか分からない。

まぁ、高校時代の人たちと会わなければそれで解決するのですが。