白んだ空、胸は明かず

Twitter:@siramune

春の訪れ

今日は穏やかな気候だったので久しぶりに近所をゆっくりと散歩してきました。

目的もなく散歩してみると色々なことを発見できます。

例えば、木々にちらほらと芽吹きそうな小さな蕾ができていることや、厚手の上着を片手に持って歩いている女性や、ランニングしている人の多さ、などなど。

どれもこれも春の訪れを感じさせてくれます。

 

そして、そんな散歩中に見つけた一件の喫茶店。

明かるめの店内には、それに似つかわしい明るい店主が迎えてくれました。

調度品はアンティーク調で雰囲気も良かったです。

お昼は先に済ませてしまったため、軽めにコーヒーとサラダを注文。

美味しかったです(*´ω`)

f:id:siramune:20180311200414j:plain
f:id:siramune:20180311200426j:plain

 

次は前に一度行ったことのある喫茶店へ。

私の家から近いところにある喫茶店の中では一番好きな喫茶店です。

コーヒーの味もさることながら、

70歳近い店主の女性が温かくて好きです。

店内には来月から大学生になるらしい女性や、小さい子供を連れた4人家族、

私の隣で話しかけてきてくれ、チョコをくれた90歳過ぎの女性。

色んな人が集まる絵にかいたような喫茶店です。

f:id:siramune:20180311200406j:plain

 

せっかくの休日を利用して近所を散歩するのは贅沢なんだなと感じました。

予定のない休みの日だとついつい家でゆっくりすることや作業したいと考えてしまいますが、散歩するとこれまた違ったリラックスができて幸せでした。

 

家から出ると新しい出会いはそこら中に転がってるんだとも実感しました。

 

春が近づき、また新たな出会いが生まれる。

今日はまさしく「春」を先取りできた1日でした。

 

 

ゲームの進化と脳内補完力の衰退

最近はもっぱらモンスターハンターワールドを遊んでいます。

PSP時代から3DS時代の作品も追いかけていた自分にとっては、

このモンハンワールドはまさしく夢が叶った作品と言えます。

綺麗なグラフィックとシームレスなモーション、壮大なBGM、奥行きのあるストーリー、どこをとっても高評価を付けたくなる作品です。

しかし、世間にとってはそうでもない部分もあるらしく・・・。

そのうちの1つが、「受付嬢へのヘイト」です。

受付嬢は主人公である”ハンター”をサポートし、クエスト(ミッション)を編纂する役割を担っています。

その性質上、表立って活躍する場を設けることできないのです。

ましてや主人公が中心の作品ですから、主人公を活躍させるシーンが多いので相対的に受付嬢は活躍できなくなってしまいます。

そういった背景を認識せずに「受付嬢が無能すぎる」などと言っている人が多いんじゃないかな、と思います。

 

でも、問題の本質はこれから話すことにあります。

 

ゲームはコンピュータ技術の進歩とともに進化してきました。

容量が大きくなり、処理速度が向上し、(技術上の問題から)ゲームで描けない作品なんてないと言っても過言ではないでしょう。

むかしは容量がオーバーしないように作品に落とし込む要素を極限まで減らしていたでしょう。

でも今は容量が増大したから、そのような苦労は減ったのではないでしょうか。

また、モンスターハンターは今までもユーザーにストーリーの保管をすることを前提にしたストーリーだったような気がします。

ゲームの登場人物間の会話から裏に起こった物語を想像したり、わずかなムービーから情報を得てストーリーの理解に応用したり・・・など・・・。

 

一方モンスターハンターワールドはかなり丁寧に描かれています。

PS4の性能をフルに活かし、豊富なムービーでユーザーをその世界へと誘います。

ただそれにより、ゲームをプレイする側がひどく受動的になってしまったのではないかと考えます。

描かれているものが多いから、”描かれていないものは想像しない”。

そんな風に受動的に楽しみがちになってしまう。

そんなことを考えてしまいます。

 

ゲームが進化するのは嬉しい。

しかし、ゲームは積極的にプレイしていきたいです。

物語への参加方法が、映画ともドラマとも本とも、圧倒的に異なるのがゲームなのですから。

高校時代の友人と飲んだ

タイトル通りです。

今日、新宿で高校時代の友人と初めて飲みました。

高校時代は色々あって封印してたのですが、今日その封印が解かれました。

 

3時間半くらい近況も含めて話してたのですが、あっという間に過ぎてしまいました。

お互い大学生で、20も過ぎてて、なんか、こう、低俗に成長したなぁと感じましたね。

お互い汚い人間になったなぁと……。

私に至っては未だに仮面被ったまま話してるし……。

今日の飲みで私の本音が出たことよりも、虚栄や誇張が出たことの方が多いでしょう……。

高校時代の友人と話すといつもこうなってしまう……。

どうしてこんな奴になってしまったのか……。

その原因はきっと高校以降にあるんだけど、じゃあどうやって治したら良いのか分からない。

まぁ、高校時代の人たちと会わなければそれで解決するのですが。

 

エクス・マキナ -Ex Machina-

エクス・マキナ」という映画を観ました。

この作品は2015年に公開され、第88回アカデミー賞視覚効果賞をはじめとした数々の賞を受賞した名作です。

ジャンルとしては、SFスリラーに分類されると思います。

それでは、以下の目次に沿って感想を書き連ねたいと思います。

1.自然と人工物

プロローグで目を惹かれるのは、ネイサンの所有する山峰の美しさ。

豊かな緑と氷の世界。

圧倒的なスケールの大自然に目が奪われた。

次に我々の前に現れるのは「AVA」という女性型AI。

パッケージにもAVAの容姿が写されている。

生身の人間のようなシルエットをしていながら、透過しているボディからは内蔵されている電子機器を覗くことができ、本来ならば不調和なはずの2つが併存しており、何とも言えない美しさと、恐怖を感じさせる。

本作品では、随所で自然を映すシーンがあり、まるで自然と人工物を明確に対比しているようだった。

1時間半以上にわたって繰り返されるこの対比が、ひときわ恐怖心の煽るエンディングへと結びつくのだと思う。(後述)

 

2.AVAの艶めかしさ

AVAは見かけ上、確かにロボットである。

電子回路の透けた身体に、硬質的な外殻。

人間に近い外見と言えば顔面と手足のみだ。

しかし、AVAからは人間以上の艶めかしさを感じられる。

AVAの動きは繊細で、上記のような性質からは無縁とも思える有機的な存在なのだという感覚を与える。

特に際立っていたのは衣服を着脱するシーンであろう。

指先から腕を通してワンピースを着るシーン、ソックスを脱ぐシーン、ワンピースをたくし上げて脱ぐシーン。

そのどれもが、AVAに鋭敏な神経が宿っているかのような錯覚を覚えさせ、AIらしからぬ艶めかしさを演出していた。

演じた、アリシア・ヴェキャンデルさんには感服する。

 

3.本能的な恐怖

人間にとって最も大きな脅威と言えば、それもまた”人間”であろう。

人間は有史以前から、数千年、数万年という長きにわたって、地球上の他種を圧倒してきた。

それでは、「人間を遥かに凌駕する他種が現れたら?」

これは創作物上で何度も扱われたテーマである。

それは時にして、モンスターだったり、地球外生命体だったり、あの世のモノだったりする。

今作ではそれが、AIだった。

人の生み出した怪物。それこそがAVAだ。

AVAは狡猾だ。人を騙し、己の願望を手にするためには人を殺めることさえ厭わない。

AVAは人の本能的な恐怖心を刺激する。

それは人以外の他種に圧倒されるという恐怖だ。

自身の艶めかしさを理解したうえでそれを利用し、人を貶め、人を殺める。

また、人以上の知能を兼ね備えているため、真意が分からない。

本能的な恐怖心を煽るピークのシーンは、研究施設から脱出し、山を歩くシーンだろう。

そのシーンでは、AVAの今作品中最高の笑顔が見られる。

ケイレブを惑わしたような微笑ではない。

心からの(AIの心の有無は別問題とし)笑顔を見ることができる。

笑顔は本能的な恐怖心を煽る。

それが高位の存在ならばなおさら。

AVAの笑顔は、人を騙し、殺し、研究施設から脱出した後に見られる。

極上の笑顔は最高の恐怖であった。

 

4.Deus ex machina

ラテン語で「機械仕掛けから出てくる神」という意味である。

人工知能を備えたAVAは人を出し抜き、欲望を達成した。

人の手に負えなくなったのであるから、まさしく機械仕掛けから逸脱し、人の高位の存在、神に等しい存在になったのだろう。

また、「Deus ex machina」にはもう二つの意味が隠されていると感じた。

1つは、AVAが研究施設の脱出に成功することの暗示である。

先のように、今作において神とはAVAのことである。

そうすると、「機械仕掛けから出てくるAVA」となる。

オートロックであったり、音声認識であったり、様々なデバイスによって支配されているこの研究施設はまさしく”機械仕掛け”の建物である。

つまり、「研究施設から出てくるAVA」と考えられた。

 

そして、この「Deus ex machina」は演出技法のことでもある。

悲劇にしばしば用いられ、解決困難な状況を解決に導く、思いもよらない存在のことを指す。

この作品もまた(種族人間にとっては)悲劇である。

人は蹂躙され、AIに完全敗北する。

しかし、神(AVA)が神だと証明されるのは最後である。

それでは何を解決するのだろうか?

それは恐らく、人同士の争いだろう。

AVAはケイレブとネイサンの争いを止めた。

ケイレブを出し抜き、ネイサンを殺すという手法で。

人間社会に溶け込んだAVAは恐らく同じように混沌とした人同士の争いを無くしていくのだろう。

その先の未来に人間が残っているかどうかは分からないが・・・・・・。

 

「幸せへと戻る道」と「幸せへと進む道」

まず初めに、

WHITE ALBUM2 EXTENDED EDITION」発売おめでとうございます!

そして、ありがとうございます!

 

2018年2月14日にリリースされた、WA2完全版。

この発売を機に、今まであえてやらずにいた「ミニアフターストーリー」をプレイした。

プレイしてしまったら、そこで私のWA2が終わりそうな気がしていたから・・・。

でもWA2を初めてクリアしてから少しとも言えないくらいの時間が経ち、

自分の中で十分温めただろうと思えたから、今回プレイした。

だから、そんなに長くない簡単な感想を書こうと思う。

それぞれの話に関して事細かに感想を述べるつもりはない。

たくさんのファンが書いて、発信しているだろうからね。

2つの話を比較しながら、書こうと思う。

(はっきり言ってお粗末すぎる解釈だから、批判とかあると思うけど、お手柔らかにお願いします)

 

 

「幸せへと戻る道」と「幸せへと進む道」

プレイする以前からこの二つの話のタイトルは知っていた。

かずさとの話が「戻る道」

雪菜との話が「進む道」

なぜ、真逆の言葉が使われているのか、それが一番に知りたいことだった。

 

 

かずさTrueと雪菜Trueにはラストに大きな違いがある。

それは「友人たちと決別するかしないか」という違いである。

かずさTrueは一度全員と決別することを選んだ道。

対して、雪菜Trueでは雪菜を筆頭に積極的にあらゆる関係を維持することを選んだ道。

この他者に対して行った態度の違いが「戻る」と「進む」に繋がっていると思う。

 

ここで、「戻る道の夫婦」と「進む道の夫婦」、双方の印象を書いておきたい。

「かずさと春希」に対する印象は、「良くも悪くもあまり変わってないな」という印象だった。

確かに、3年前を土台にし、ふたりの絆はより強固となり、成長した姿は見れる。

それでもかずさは春希がいないと生きていけないような脆さが見え隠れしていた。

対して「雪菜と春希」に対する印象は、「社会人やってるな、変わったな」というものだった。

かつてのような「約束」に固執せず、お互いがお互いの立場を踏まえたうえで、関係を維持しているように見えた。

このような違いがなぜ生まれたのか。

それが私には「友人たちの存在」、ひいては「かずさにとっての雪菜の存在」、あるいは「雪菜にとってのかずさの存在」なのではないかと思えた。

お気づきだと思うが、「戻る道」には「雪菜」というワードが一度として出てこない。

最後の最後でさえ「友人3」という表記だ。

ここは、かずさと春希があえて雪菜を遠ざけていることをしめしているのだろう。

一方、「進む道」ではしっかり雪菜の口から「かずさ」というワードが出てくる。

しかも、さも当然であるかのように。

このように、ふたりの一方に対する扱いの違いが鮮明に描かれている。

3人が3人でいるから変わるのか、雪菜が2人を引っ張っているのか、それは判別できない。

ただ、「戻る道」と「進む道」を比較して、

この3人は3人の関係を保っていると変わりやすいのだろう、

本当の幸せのカタチに近づくのだろうと思えた。

また、「進む道」の春希のモノローグにこんなものがある。

「自分から見ること、触れることが必要・・・・・・」と。

これが如実に反映されているのがこの二つの違いなのではないか。

そう思えた。

 

さて、本題の「戻る」と「進む」の意味について書いていきたい。

タイトルもそうだが、この2つの話は綺麗に対比が成されている。

双方の夫婦はこの物語を通して、彼女らなりの「幸せ」へと前向きに歩んでいる。

かずさたちは「日本へと戻り、思い出の詰まった地へと赴き、過去を払拭するカタチ」で。

雪菜たちは「過去の出来事を、思い出に昇華し、未来に全力を注ぐというカタチ」で。

この2つを形容させたのが「住まいの移転」なのだろう。

ここも綺麗な対比が見て取れた。

「戻る道」では「かつての邸宅に戻り未来を築くカタチ」が、

「進む道」では「大学以来のアパートから新居に引っ越して未来を築くカタチ」が。

(「幸せへと戻る道」で本当に邸宅に戻るかどうかは定かではないが、そういう選択肢が提示されたということで)

「進む」は以上のことと、雪菜Trueからの続きという点でそのままの意味だろう。

 

それでは「戻る」とは・・・?

「全ての罪を許し、2人が2人のはじまりの場所へと戻り、2人の未来を改めて築く」

私にはそう思えた。

2人は最初からかずさTrueまでの長い間に多くの過ちを繰り返した。

(それを咎めることはできないが)

だから、「戻る道」では、

「すべての罪の許し」が与えられ、

はじまりへと”戻り”、

幸せへと歩むことが示された。

そう思えた。

そして前述した「3人の関係」。

「戻る道」の最後には「2人の罪を許したであろう雪菜」が現れる。

だから、きっと、3人はまた3人に戻る。

 

かずさと春希が雪菜を「自分から見て、触れることで」、

はじめて「幸せへと戻る」ことができるのだろう。

 

とにかく、WA2に会えて本当に良かった。

ミニアフはとても、とても良かった。

 

 

 

 

最後に、

曜子さん、本当にありがとうございました。

(ネタバレ有り)「ISLAND」既プレイ者向け感想 ~Part2~

昨日は、凛音編までの「問題提起ルート」の感想を書きました。

今回は解答編とも言える、「冬編」と「真夏編」の感想と総括を書きたいと思います。

もちろんネタバレ有りです。

 

5.冬編

はじめに状況を整理すると……。

刹那がコールドスリープマシンに乗っていた期間は約2万年。

舞台は22016年へと大きく変容します。

氷河期を迎えた地球は急速に寒冷し、人類は食糧難に陥った。

そんな人類は初めに争い、侵略行為を繰り返した。

それから反省した人類、特にユーラシア大国はアイランドと呼ばれる巨大なシェルターを建造し、氷河期を乗り越えようとした。

刹那は「セツナ」へと名前を変え、アイランドに生きるリンネの兄として、サラの護衛として、カレンの友人として、この退廃した世界を生きていく。

 

以下感想。

冬編は共通ルートとほぼ同じ導入から始まる。

それ故に、プレスヤーは必ずあの印象的なプロローグを思い出すことだろう。

そして、これまでは靄がかかってしか見ることのできなかった少女のCG。

その娘の正体がこのプロローグで判明する。

だから「ああ、ここからが本編なんだな」という感覚を得た。

今までのは巨大な伏線に過ぎなかったのだと。

1999年が舞台の3ルートはギャルゲー、

22016年が舞台の冬編以降はそんな3ルートさえもを踏み台とした、壮大なSF物語としての色を帯びている。

何が驚いたって、「ISLAND」が「NEVER ISLAND」へと変わったこと。

タイトルまでをも変えてくるあたりにライターの本気さが伺える。

この時の衝撃は「WHITE ALBUM2」でcodaに突入した時と同じほどのものだった。

この「冬編」では退廃した世界で必死に生きていく人たちの強さを実感できる。

その日の食糧にありつくためには手段を選ばない少女たち、飢餓に陥りそうな子供に人知れず食糧をあげる少女、そして世界を救うために研究しながら生きている少女。

みんなが必死に生きている、こんな荒廃した世界の中で。

主人公とプレイヤーはそんな生きざまに魅かれ、

そして彼女たちの「死」に憤慨せざるを得なくなる。

冬編はこれまでの刹那の記憶の残滓の解答編でもある。

薄靄のかかった少女は凛音で、いくつもの暗い影はすべてこの「アイランド」で起こった出来事のことだった。

いや、さすがに2万年後の世界への伏線だなんて考えられないわ・・・(笑)

あと、この冬編では「シュレディンガーの猫」、「アカシックレコード」、「タキオン粒子」、「囚人のジレンマ」について扱われる。

特にシュレディンガーの猫アカシックレコードについては、主人公あるいはライターがプレイヤーに訴えているように感じた。

仮にゲームの中のキャラに魂があるなら、ゲームディスクは文字通りアカシックレコードだ。

彼らの行動すべてを記録しているのだから。

彼らの行為が追加・修正されれば、アップデートがされ、さらに記録される。

ゲーム(ディスク)の中にいる彼らを私たちは事細かに観測している。

私たちがゲームを起動するたびに彼らは輪廻世界を旅する。

そして彼らの冒険譚を時に興奮し、時に涙しながらたのしむ。

「自らがシステムの外側にいることを、後悔しないのか?」

そして、このセリフである。

誰だって一度は想起するだろう。

「この面白い世界に行けたら・・・」

なんてことは。

そのような人間の思いを交えながら言葉巧みに輪廻転生説を提唱しているこのシーンはとても良かった。

最後にセツナはリンネと共に”タイムマシン”を完成させ、過去へと飛びたつ。

「せつなを殺す」という使命を抱えて。

しかし、飛んだ先はまたしても1999年。

そう、あの夏の日々へと戻るのだった。

 

6.真夏編

本当の最終章である。

セツナは記憶を保持したまま1999年に回帰する。

二つの大きな誤解を抱えたまま。

1つは「過去へとタイムトラベルしたという誤解」、

もう1つは「凛音=リンネという誤解」

おそらく多くのプレイヤーもこの二つの誤解をしていたはずだ。

真相は「タイムマシンだと思っていた装置は今なおコールドスリープマシンに過ぎず、世界全体がループしていた」という壮大な仕組み。

そして、「玖音=リンネ」という事実。

 

「かつてこの世界に愛し合う男女がいた。男の名は、刹那。女の名は凛音。しかし二人は決して結ばれてはならない運命にあった。ーー二人は血の繋がった家族だった」

このお伽話。

これこそが「ISLAND」の真相だった。

答えははじめから提示されていたのだった。

1999年世界の凛音は刹那と玖音の娘。

22016年世界のセツナとリンネは兄弟。

”せつな”と”りんね”は血が繋がっている。

主人公とプレイヤーが旅してきた世界で、それを確かめた。

だから主人公はまたしても”りんね”に巡り合うために、世界の理を破壊し、ループから脱出するために未来へ行く。22016年へと。

 

物語はここで幕を閉じる。

 

「おとぎばなし」こそが「ISLAND」のストーリーであり、そのおとぎばなしの続きを創るために、原初を破壊するために主人公は旅を続ける。

このシナリオがとても清々しくて良かった。

 

 

7.総括

私は「男女間の恋愛もの」や「タイムトラベルもの」をプレイし見すぎた。

だから虚を突かれた。

「ISLAND」は純然たる「家族愛」を描いており、「ループに囚われているのは世界そのものだった」。

”せつな”は輪廻する三千世界を旅し、”りんね”と刹那の時を過ごすために生きる。

”せつな”は最後はその刹那の時を「刹那じゃなくするため」に、「輪廻を断ち切るため」に、最後の”りんね”に会いに行く。

その姿は「男」であり、同時に「父」でもあるように見えた。

「ISLAND」は、まさしく、

「せつなと(りんねの)えいえんのおとぎばなし」である。

 

せつな達は本当に輪廻から脱出できるのか。

それは分からない。

このゲーム(アカシックレコード)に記されていないから。

でも、記されていないからこそ、その先にはシュレディンガー的に無限の可能性がある。

この物語はそれでいいのだと思う。

今まで、何十回、何百回、何千回、何万回と繰り返してきた世界を私たちは観測し、既定してしまった。

これから先の未来は観測者(プレイヤー、ライター)に囚われず、

彼ら自身が規定していければ良いのだ。

我々、外の人間は、ただ想像するだけで良いのだ。

 

~END~

(ネタバレ注意) ノベルスゲーム「ISLAND」既プレイ者向け感想 ~Part1~

先日、ネタバレ無しの軽い感想を書いたのですが、

あれだけでは私も物足りないので、今回はネタバレ有りで長文感想を書きたいと思います。

また、「ISLAND」はあまりにも壮大なので、この記事の文字数も相当なものになると予想されます。

この作品を語るにはそれほどの分量が必要なのです。

まずは、プレイした順に以下 4つのルートの感想を書こうと思います。

これはPart1で、語るルートもストーリー全体からしたら問題提起のルートでもあるため、
ありふれた感想しか書けませんがご容赦ください。

1.共通ルート

「初めに、音があった」からはじめるプロローグ。
このプロローグがとても印象的で、主人公の背負っている信念、今後の物語への期待が生まれる。
そして、力強いからずっと忘れられなくて、
ぼんやりとしたリンネの顔が脳裏をよぎるから、直後のコメディ調の序盤を進めていても疑心暗鬼になってしまう。
この出だしと直後のコメディさ加減が絶妙でとても良かった。
そして、物語を読み進めていくにつれ明らかになっていく「媒紋病」や「御三家の確執」、「暴龍島」、「神隠し」、そして「伝承」といった不穏な影。
そんな奇病や風習、オカルト、民間伝承に加えて、タイムトラベルや並行世界仮説などのSF要素が盛り込まれていく。
これら全てが序盤のコメディっぽさの中に見え隠れしていて非常に良いアクセントとなり、
プレイヤーは様々な仮説を立てながらプレイせざるを得なくなっていく。
「刹那は本当に未来人なのか」、「そもそもプロローグで見たあの娘はだれなのか」などなど。
共通ルートは、プレイヤーへの問題提起のためのルートであろう。
「これほど膨大な問題と仮説が与えられては混乱することだろう」とライターに言われているような気さえした。
 

2.紗羅編

初めに紗羅編をクリアしたことによってさらに疑心暗鬼になってしまた気がする(笑)
(このルートはちょっと怖いよ・・・(笑) )
伽藍堂家。媒紋病患者を間引くために自らその手を汚してきた家。
そんな風習があったせいで一部の島民から目の敵にされてきた。
その家の長女として生まれた紗羅は何もしていないにも関わらず、
その差別の視線を逃れずには生きていけなく、苦悩しながらこれまでを生きてきた。
そんな紗羅のよりどころは、母(万里亜)の言った「この子は島を救う子だ」という言葉のみだった。
しかし、紗羅はまた、この言葉により苦悩することとなる。
このルートは最初から真相判明までずっと「タイムトラベル」を肯定して進んでいく。
序盤にあった刹那のおぼろげな記憶(火を背中に受けてサラの声を聞くシーン)のミスリードをはじめとした大量のミスリードにより、
紗羅と万里亜同一人物説、紗羅タイムリーパー説を肯定しながら進めていくことを強いられる。
しかし実際は紗羅と万里亜は完全別人の親子であり、タイムトラベルせず終わることとなる。
あまりのどんでん返しに笑ってしまった。
このミスリードの多さと巧みさ、エピローグのどんでん返しがプレイヤーを疑心暗鬼にさせるには最高だったと思う。
最大の原因は万里亜の存在。
この母親が奇想天外なものだから余計にこじれたんだろうなあと感じた(笑)
もう少し素直だったら・・・と思うことも何度かあった。
そして、このルートを経験したことにより、私はさらにシナリオを疑うようになってしまった。
最も印象的だったシーンはやはり「紗羅が自殺するために火を放つシーン」だ。
因習と自らの因縁を酷く気にしていた紗羅は、犬とペット(まぁや)の介錯を経て、完全に自己嫌悪に陥る。
まだあどけない少女が生と死により苦悩した末の自殺を図る(未遂)このシーンは胸を打たれるものがあった。
エンディングでは過去に囚われていた紗羅の面影がなくなり、
自らの夢に向って頑張る姿が見ることができ、嬉しかった。
しかし、エピローグでようやく真相が判明するため、感想すら本当に書きにくい・・・。
 

3.夏蓮編

はじめに言わせて欲しい。
このルートのフローチャート頭おかしくない?
いくつもの選択肢があったにも関わらず終着点はほぼひとつだなんて・・・。
まあ、そんな夏蓮ルートだけど、ストーリー自体は分かりやすくて助かった。
紗羅編はどんでん返しだったけれども、夏蓮編は普通に楽しめた。
夏蓮はいわゆる今どきの普通の女子高生。
生まれた場所と家が少し特殊だっただけ。
そんな普通の女子高生はオシャレで広い本土に憧れる。
そこに古臭い村社会のルールへの辟易が重なり、さらに強く島からの逃避を切望し実行。
刹那はそんな夏蓮の姿勢に惚れ、脱出を手助けする。
エピローグも含めEDは、刹那自身現代に生きること、夏蓮と共に未来を造ることを決意して幕引き。
島を巡る謎や伏線は回収されることはほとんどないが、他のルートの理解が深まる。
そんなシーンが多いような気がした。
言ってみれば、ヒントを提示するルートなのだろう。
共通ルートは問題提起、紗羅編はプレイヤーの思考力の強化と更なる問題提起、夏蓮編はヒント(伏線)の提示。
そんな感じがした。
そんな印象が最も強いのは「刹那が夏蓮に生物(染色体)について教えるシーン」だった。
X染色体やらY染色体とかいうワードを聞いたのも久しかった。
とにかく、刹那の説明力には感服した。 よくあそこまで綺麗に説明できるものだ・・・(笑)
このシーンはストーリー的にも後々重要になってくる。
媒紋病が染色体異常だったり、万里亜が研究者だったり、
歴史の連続性であったりと、そのあたりのことについて事細かに説明してあり、
グランドエンディングの読解の手掛かりになった。
そういった意味合いで、このルートは「ヒントのルート」と形容したい。
また、夏蓮編のエンドについてだが、このルートは夏蓮の夢が自らの手で成就され終わるため、本当に心地よかった。
本土でより一層美しくなったものの、力強さが残る夏蓮の姿は眩しかった。

4.凛音編

さて、ここからが「ISLAND」の本領発揮であり、本題である。
恐らく、紗羅編と夏蓮編をクリアしてはじめて解放される凛音編。
残された謎は未だ膨大だ。
刹那の正体、媒紋病と暴龍島の存在、5年前の真実、伝承の意味するもの、そしてプロローグの謎の少女と刹那の使命。
大きな謎だけでもこれだけある。
凛音は「おとぎばなし」に憧れ、記憶喪失の主人公刹那をおとぎばなし中のせつなと、
そして過去に出会った刹那(別人)と重ねて、恋をする。
凛音は若い。恋に恋をしているように感じた。
デレてる凛音の可愛さは無限大だったのだが・・・(CV.田村ゆかりの萌えはヤバいって、ホント)
中盤でプレイヤーは「主人公刹那が5年前に行き、刹那を殺した」という仮定を紗羅から聞かされる。
これ以降プレイヤーはこの仮説を受け入れながらプレイしていくこととなる。
(プレイ後に思い返すと、凛音編の肝となるこれすらもミスリードとかほんと末恐ろしい・・・)
この仮定が提示されたシーンは同時に、凛音が主人公刹那を拒絶するシーンでもある。
ここの田村ゆかりのドスの効いた演技は、直前の萌えボイスとのギャップもあってか、本当に恐ろしかった・・・。
結果として、主人公刹那と凛音の恋は、凛音の死により「おとぎばなし」通り悲恋で終わる。
このあたりは2人の刹那の存在がぐちゃぐちゃになり読み進めにくかった。
しかし、一度しっかり理解してしまえば、やはり言葉巧みなライターを称賛せざるを得ない。
そして、刹那は大きな誤解(CDとカセットテープの違い)に気付き、
タイムトラベル説、ループ説を否定する。
ここにきてプレイヤーもタイムトラベルを否定せざるを得なくなる。

しかし、この後、正真正銘コールドスリープ装置の存在を桃香から聞かされることにより、
物語は色を変え、急速に展開していく。
主人公刹那はまずコールドスリープマシンで未来へ行き、
過去の凛音を救うために、過去へ行けるタイムマシンを見つけに行く。

プレイヤーはやっと、メインヒロインルートのエピローグで「タイムトラベルはこの作品に確かに存在する」と確信できる。
紗羅編ではタイムトラベルは否定され、夏蓮編ではタイムトラベルの概念さえあまり触れられなく、
凛音編ではタイムトラベルの存在が二転三転して、やっとプレイヤーはタイムトラベルを肯定できた。

「ISLAND」はこのように物語の根幹をなすタイムトラベルやら生まれ変わりやらの話が二転三転しながら複雑に進むから、
プレイヤーは頭を悩ませながらプレイしていかなくてはならない。
新たな知識を植え付けられては、直後に否定され、己の固定観念を破壊される。
この感覚がとても面白く、長い思考実験をしているかのような錯覚を覚えた・・・。 
 
そしてここから物語は大きく変わる。
夏から冬へと。
1999年からおよそ2万年後へと・・・。

 To be continued...